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勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

人生をムダにしないために、知っておくべきこと

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というタイトルの本やネットの記事がをとても頻繁に目にする。

これは当然、ムダにしたくないと思っている人がいかに多いかの裏返しである。

そして、この答えには多くのバリエーションがあるが、ムダにしまくってきた俺だからこそ最近気がついたことがある。

 

 

俺が前にいた会社に異業種から転職しようかどうか悩んでいるという女性を紹介され、話を聞いた。

いざ話を聞いてみると、「どういう点がしんどいのか?」「残業や休日出勤はどれくらいあるのか?」というのが主な”悩み”らしい。

俺は「そんなにイメージが悪いのか広告業界は」と、前にいた業界に対する世の中からの風当たりの強さを嘆いた。

しかし、「実際は残業なんてほとんどないし、休日出勤なんて年に1回あるかないかくらいですよ」なんて言えば嘘になる。

「ありのままの姿をみせてしまっては、いまこの瞬間に広告業界への志望者を1人減らして業界縮小につながりかねない、いま俺に求めらているのはオブラートに包む心」と考えた俺は、「最近は変わってきてるみたいですよー」と、ほぼ何も言っていないに等しい回答をした。

と言いながら「残業がないとか休日出勤とか、そんなに気になるか?」と本心では思ってしまった俺は随分ブラック企業に毒されてしまっているのだろう、と、その時は思っていた。

 

後日その人含め3人で、転職の相談関係なしに酒を飲んだ。

全員30代半ばで、結婚とかまったく興味がないという女性(相談に乗った女性)、結婚とかまったく興味がないという男性、バツイチの俺、という、世の中的にはダメ人間の集まりでしかなかったが、その3人で、「結婚観」についての話題になった。

 

「結婚にまったく興味がない」というその女性は、同時に、「どうしても結婚が嫌というわけでもない」と、一見矛盾した考えを露わにする。

どうして結婚にまったく興味がないのかと尋ねてみると、「今の独身生活に不満がない」のと、それ以上に、「失敗した時に失われるもの、特に時間、が大きすぎる」かららしい。

 

そうすると次に、「結婚しないことで失われることなく使うことができる時間を、いったい何に使うのか」という疑問が生まれるが、どうやら旅行とかおいしいものを食べたりとか、そういうことに使うようだ。

 

俺はそれを聞いて、つい、「しょうもな」と思ってしまった。

いや、たぶん口に出してしまっていた。

結婚に失敗し、協議や手続きなど婚姻関係の解消に多大なる時間を費やしてしまった未来と、そんなことに時間を費消することなく有意義に休暇を消化、海外旅行、日本では見ることのできない風景を目の当たりにしたり、外国人と交流をしたり、おいしいものを食べることができた未来、その2つの間にいったいどれほど大きな差があるのか、それなのに、残業したくないとか休日出勤したくないとか結婚でムダな時間を使いたくないとか、いったい何を言っているんだ愚か者が、そう思ったのだ。

どれだけうまいものを食べてもその味覚は数時間後には失われているし、どれだけ美しい風景を見ても1週間も経てば記憶から消えてしまうのに、これらを経験することが果たしてそんなに大切なことなのだろうか。

 

就職してからの人生を指して「懲役50年」と、さらにアグレッシブに言えば、生まれてからの人生を「終身刑」と冷笑を込めて表現することが世の中ではよく見られるが、死ぬまで刑務所にいるのならば、そこがどれだけ快適であっても、不快であっても、苦痛であっても、退屈であっても、あまり変わりはない。

なぜならそこは刑務所だから。

一時的にバリ島にいても、徹夜で残業をしていても、どうせ戻る先は独房なのだから。

 

人生を懲役のように解釈するのは、人生で起こるつらい出来事に対する抗体を自分の体内に作り出す、いわば防衛本能のようなものであり、アプローチこそ違えど、根本となるコンセプトは宗教と似ているのではないだろうか。

つらいこと耐性ができた結果、つらいことに身体が反応しなくなるのは当然の帰結である。

 

しかしみんな、「私の人生は私だけのもの、プライスレス」という考えを大切にしたいし、「私らしく輝きたい」と願っているし、そういってがんばっている人は輝いているから、「しょうもな」いのは彼女ではなく俺の方である。

「つらいことを剥き身のままつらいこととして受け止める」のが、「人生をムダにしない」コツだと思う。

俺はそんな強靭な心を持ち合わせてはいないので、それができる人はがんばってもらいたい。 

「二流」「三流」とかいう記事、多くないすか?

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最近、インターネットで
「一流の人が絶対にしないなんとか」
「二流の人と一流の人の、なんとかでわかる違い3つ」
「一流はこうして、二流はこう、で、こうするのは三流のおっさん」
などといったタイトルの記事を頻繁に目にする。
 
領域を問わず、「一流」と呼ばれて嫌な気がする人なんていないし、それは俺だって同様。
「一流」になれば人からの羨望も集まるだろうし、なんせ、仕事を依頼してくる相手から「一流」と認められれば、懐に入ってくる金員の額が跳ね上がるはずである。
「一流に近づくために何をすればいいのか書いてあるのん?」と期待して、俺はその手の記事をいつも開いてしまうのだ。
 
しかし残念なことに、「一流の人はこんなことしない」「こんなことをやっている奴は二流、三流」と書かれている項目の大半は、俺の現在進行系の習慣、行動様式にがっつり当てはまっており、「一流と二流の差を教えてくれる、親切な記事」は、いつの間にか「俺を二流三流と断定する、容赦ない人でなし、鬼畜」に、姿を変えているのである。
 
そんな親切なおじさんの皮を被った鬼畜に何度も期待を裏切られながらも、「これは一流になるための試練」と勝手に自分を奮い立たせ、「二流がしないなんとか」といったその手の記事タイトルを見つければこれを敬遠することなくアクセス。
しかし毎回、記事を読んだ後に思い知るのは、「俺は二流、三流である」という、紛うことない事実。
俺は、「一流」という言葉の希望に身を焼かれながら記事タイトルをクリック、そしてその先の記事内容で打ちひしがれてブラウザーをそっと閉じる、この一連を繰り返すパブロフの犬と成り果ててしまった。
 
ここで、俺が敬愛する漫画家・福本伸行先生作の『天』に出てくる名セリフを、この手の記事に毎回つられる俺自身に、「俺→インターネット(世界中)→俺」というえらく遠回りなルートで、おくりたいと思う。
いいじゃないか…! 三流で…!
熱い三流なら 上等よ…!

というわけで、あしたから熱くがんばろう。

60歳をすぎても平常心で研修を受けられるような人になりたい

 

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3年ぶりに運転免許を更新してきた。
4年前にまるで罠かのように存在した車線変更禁止で引っかかっていたため、ゴールド免許ではなく、一般の講習。
 
免許試験場で撮られる写真は、どうしてああも人相が悪くなるのか。
それはさておき、試験場での話。
 
東陽町の免許試験場に行ったら、日曜日だけあって人が多い、4列にわかれて行列ができている。
試験場に入ってくる人を次々と行列に案内し、「更新のお知らせはがきを用意しておいてください」とアナウンスする職員の男性。
見かけから判断して、おそらく年の頃は60を過ぎているのではないか。
 
「ほーん、まあもうすぐ定年など存在しないことが当然になり、俺らの時代には70すぎてもこういう風に働いてるんやろな…」と思いながら、誘導されるがままに列に並ぶと、あるものが目についた。
その人の左腕には、「研修中」と書かれた腕章がつけられていたのだ。
それを見て、このおっさんというかじじいというか男性といっておくべきか、について、ふと思う。
 
研修とは普通は新人が受けるものであって、それを現在受けているこの人は、年齢に関わらずおそらくこの職場では新人なのであろう。
本人が望んで新しい環境に身を投じたのか、それともそうせざるを得ない状況に陥ってしまったのかは知る由もないが、俺はこのおっさんを見て、「かっこいい」と思ってしまった。
というのも、人間は歳を重ねるにつれて自尊心も肥大化し、「この俺がどうして見習い扱いされなければならんのか。なめているのか」と思い、ひいてはそのとおりの発言をし、ひどいケースでは暴れたり帰宅したりしてしまうものだからだ。
ところが「研修中」の腕章をつけるという行為は、「私が至らぬのは、それはこの職場において新人、見習いの立場であり、それを予告しておきますから何卒ご容赦ください」と言っているのと相違なく、このおっさんは人間の摂理に真っ向から立ち向かっていると言える。
「研修中」という腕章をつける60歳すぎのおっさんや、つけさせる職場はなかなかパンクではないか。
 
もっとも、最近はAIだかなんだかの誕生で、これまで成立し得た職業がバンバン廃業に追い込まれる時代になるはずだから、パンクというか、こっちの方が求められる主流な考え方になってくるだろう。
 
新人として生き、新人として死ぬ。
そういう大人になりたい。
 
でも、金には困りたくない。

「完璧な人間」とは何なのか

この間美容室に行った時、雑誌「OCEANS」を手渡された。
美容室は普段手に取る機会がない雑誌を読めるのがいいと思う。
その号の「OCEANS」には、「夢あるオッサンのほしいモノカタログ」というサブタイトルがついていた。
持ってきてくれた10年来の顔なじみの美容師さんからは、「そろそろちょうどいいころじゃない?」と言われた。
だれがオッサンやねん。
 
 
それはさておき、ぱらぱらとめくって、「うわぁ、カイエンほしい」「時計に200万円って、1回時間を見るのにいくらなんよ?」「服高すぎやろ」などと、ひとりつぶやいていたのだが、しばらくして、ある箇所に目が留まった。
そこには、ポール・ニューマンという人物が紹介されており、
 
アカデミー俳優であり、さらには映画監督だけでなく、レーサーとしても一流。設立した企業は大成功を収め、しかもその利益は全額寄付。
つまり、男としてほぼ完璧。

 

みたいなことが書いてあった。
経歴の部分は内容しか覚えておらず、文面はこの限りではないが、最後の「つまり、男としてほぼ完璧」は、鮮明に覚えている。
 
俺レベルのゴミクズが「男として完璧」とは何なのかを語るのは、いささか心苦しいが、それでも考えることを避けられないくらい、「完璧」という言葉が持つ威力は強い。
 
この文章を読む限りでは、
  • 芸術(俳優・映画監督)すごい
  • スポーツすごい
  • 実業すごい
  • 超絶金持ち
  • しかも儲けを全額寄付する超絶人格者
  • さらに補足すると、記事には顔写真が載っており、誰が見てもカッコイイと思うであろう、渋いイケメンである
これら条件を兼ね備えていれば「完璧」である、というのが、このページを担当した編集者・ライターの方の価値観なのであろう。
 
しかし、少し待ってほしい。
そもそも、「完璧」とは、「欠点がまったくないこと(大辞泉)」という意味である。
上の記載には、ポール・ニューマンの欠点について、まったく触れられていない。
 
一般的に、ある特徴が「欠点」であるかどうかは、それを解釈する側の価値観に委ねられる。
つまり、仮にポール・ニューマンがスカトロ趣味を持っていた場合(あくまで仮定の話です)、相手の女性がそれを苦にしない、もしくは大歓迎であれば、彼女にとってスカトロは欠点にはならず、彼は引き続き「完璧」であるが、そうでない人からすると、大いなる「欠点」なのである。
 
そして、欠点になりやすいポイントは、表面的な要素ではなく、しばらく接してみて初めてわかるような内容であることが多い、と思う。
 
さらに、「本当に完璧」である人と深く関わるとどうなるか。
周りにそんな人はいないので、想像の域を越えないが、おそらく、とても息苦しく感じるだろうし、「生まれてきてすみません」と思ってしまうだろう。
なぜなら、人のことを妬んだり恨んだりすることがまったくない、完璧な性格を持っている人など、ほとんどいないから。
それはもはや、「悟り」の境地に近い。
受け取る側の態度次第では、「完璧」は「息苦しさ」に直結するものであり、逆説的に、「完璧な人などいない」という結論に至ってしまうのである。
 

不動産屋という、最高に精神を試される空間

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いままでの人生経験上、「心技体」のすべてを試されると思った場面が2つある。

ひとつは麻雀で、もうひとつは不動産屋だ。
 
俺はいままで東京に来てから7回くらい引っ越しを経験したのだが、不動産屋という場所は毎回そうだ。
訪れる者の精神を試験してくる。
多くの物件をまわるのに必要な「体力」や、引っ越しするときに気をつけておくべきことに対する「知識(技)」が求められるのはもちろんだが、最も重要なのは「強い心」だと痛感する。
 
 
今回、また引っ越すことを決め、不動産屋へ向かった。
 
ここの不動産屋は、内見に行くのに車を出してくれるそうだ。
いちいち歩いていかなくてもよいのは、俺ももうすぐ34だ、助かる、これで「体(体力)」が求められることはなさそうだ。
 
「技」についてはどうか。
おれは7回も引っ越しをしている、いわば引っ越し界ではベテランである。
過去には
  • 住んでみたら、家全体が携帯電話の圏外だったことに気がついた
  • 引っ越し前日まで全く準備を進めておらず、その日の夜に徹夜で麻雀して朝帰宅したら、引っ越し業者が来ていて怒られた
  • それであわてて全ての荷物を取りあえず段ボール箱に流し込みなんとか引っ越しを終え、「荷解きめんどくせー」と思って1ヶ月くらい放置していたところ、カビまみれのパンが出てきた
といった失敗もしたが、そういったアマチュア引っ越しマンはとうの昔に卒業している。
 
最後に「心」。
これも問題ない、と、最初は高をくくっていた。
上限予算と立地、譲れない条件をはっきりと自分の中に持った上で訪問したからだ。
 
しかし奴ら(不動産屋にいる人たち)は、そんな屈強に鍛え上げられたはずの俺の精神を、巧みに揺さぶってくる。
 
「ご予算はちょっとだけ超えてしまうのですが、こういった物件ならいま空いています」
 
「ちょっと」とは、金額に直すと月々7000円である。
俺は率直に「ちょっとじゃねーじゃん」と思ったが、しかし、部屋の条件は格段に良くなる。
歴然とした差に、事前に熟慮を重ね屈強に鍛え上げてきた俺の精神はもろくも崩壊し、俺はあろうことかその場で考え込んでしまった。
 
1日にジュースをひとつ控えれば5000円高いところに住める。
月に飲み屋に行く回数を1回減らせば、もう5000円高いところに住める。
社食でお昼のおかずを毎日1つ減らせば、もう5000円高いところに住める。
クラウドワークスで1文字0.1円の記事を月に50000文字分書けば、もう5000円高いところに住める。
携帯電話を格安SIMに変えて、新聞を取るのを止めれば、もう5000円高いところに住める。
月の家賃を25000円も上げられるではないか!
いや、でも万が一今の会社を辞めるときのことを考えると、生活水準を上げるのはよしておいたほうがいいだろう。
そもそも本棚の本を全部処分すれば、こんなに広い部屋はいらない。
駅から徒歩5分以内を希望してたけど、7分くらい歩けるか。
であれば、同じ金額でもっと新しい物件も選べるか…。
 
たかだかこれから住む物件を探す作業でしかないのに、生き方や人生に対する考え方まで問うてくるとは、なんということでしょう。
 
などということを、頭脳をフル回転させ考えていると、俺の担当者の右に座っている、店長然とした人が言う。
 
「出せるなら、出したほうがいいですよ。そのほうが後々満足度が高くなってきますから!」
 
あたりまえ~あたりまえ~あたりまえ体操~♪
 
思わず踊りそうになってしまうほど当たり前だが、それはそうだ。
高いものは、うまい。
そして、うまいものを食えば、うれしい。
うーん、どうしたものか…。
当たり前の事実にこれほど悩まされるとは…。
こういった「当たり前のことをさも貴重な知見のように言うことで、優位なポジションをとろうとしてくる」といった巧みな関節技をも、上級不動産屋になると駆使してくる。
 
散々悩んだ挙句、当初の予算内の物件で決めることができた俺の精神は、これまでとは違う強靭さ、しなやかさを持っているのではないかと思う。
今なら麻雀も負けない気がする。

2017年になり、コピペに人生を考えさせられてしまいました。

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2017年になりました。
あけましておめでとうございます。
 
年末年始といえば、みんな実家に帰り、旧友が集まって飲み近況報告などをして楽しむ数少ない機会である。
俺も友達が少ないにも関わらず、いや、少ないからこそ、これを重要視してそのような場はなるべく欠かさずに参加していた。
しかし、30代半ばに差しかかってくると、やれ「結婚して一家で過ごすので出られません」だの「子供ができてその世話をしないといけないので出られません」だの「禿げてきて出たくありません」だの、そんな理由で欠席をする奴が出てくるようになり、今回ついに高校卒業以来はじめて、会自体が催されなくなったのだ。
 
心待ちにしていた俺からしてみれば、「なんて日だ」と叫ばずにはいられない事態だ。
いろんな理由をつけて出てこなくなってしまった奴が増えたが、俺らからしてみれば、その理由であるところの環境変化こそ最も話を聞きたいところなわけじゃん? それが会合の主旨だろうが、そこのところをわかっているのか、と。
 
俺はこの会合を聖域にしてきたわけですよ。
結婚しても嫁の実家に行くことよりも優先して会に出席したし、当日東京で仕事になってしまってもそのまま新幹線に飛び乗って途中からでも参加したし、そういった俺の努力を一体なんだと思っているんだ、お前たちは。
 
と憤りかけたその時、気がついたのです。
そんなことをしていたから、家庭が維持できなかったのだと。
 
 
ちょうどその時、このコピペがちょっと話題になっていた。
 
俺はドラマも出ないし→出る
歌も出さない→出す
映画は撮らない→撮る
40歳で引退する→しない
浮気しまくる→しない
禁煙なんてするか→する
芸人は体を鍛えてはいけない→138キロのベンチプレスを持ち上げたい
コメディアンというのはどこか犯罪の匂いがした方がいい→バカまじめ
先輩の誘いを断ってバイト行く奴なんてありえへん→タウンワーーーーーク!!!!!!!!!
結婚なんてしない→嫁の誕生日に似顔絵入りケーキをサプライズで用意
子供なんていらない→娘に書いてもらった海のトリトンの絵を額縁に入れて飾る
子供なんてうるさいだけ→娘に好かれたくてバルーンアート教室に通う
自分と同じ顔したガキが家にいるなんて最悪→娘にぬいぐるみを買ってあげるために中野ブロードウェイを走り回る

 

松本人志さんがついた嘘一覧wwwwwwww - ニコニコ2ちゃんねる

これは至極簡単な話で、無粋を承知でマジレスすると、嘘をついているのでは当然なく、人間の考えは置かれた状況などによって変化し続けるということを表しているにすぎない。
彼のような若くして完成された才能を持った人物でも、それは例外ではない。
これも人間的成長なのであろう。
 
翻って俺はどうかというと、驚くほど変化していない。
まだトマトが食べられない。
こんなネタコピペに人生を省みてしまう、2017年の始まりは幸先があまりよくないからがんばろう。

楽しかった買い物の思い出

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前回は「買い物という行為が生む苦痛」について書いたが、これまでの自分の人生を思い返してみて、苦痛ではなかった、むしろとても楽しかった買い物がふたつあったことを思い出した。
 
 
ひとつは、ひとつはエレキベースである。
 
これらの買い物が楽しかった理由を語るには、購入時に俺が置かれていた状況を説明する必要がある。
 
 
車を買ったのは、俺が働きはじめて4年ほどが経ったころだった。
その4年程度の間、俺は四六時中仕事を辞めたいと思っていた。
とはいえ次の仕事のあてがあるわけでもなく、本腰を入れて転職活動に取り組むほどの気力もないため、「ああ行きたくねぇ」と呟きながらかろうじて会社に足を運ぶ毎日を繰り返していた。
 
蓄えはそこそこあった。
しかしこの蓄えそのものが、「やりたくもない仕事を惰性で続けて4年も続けてしまった」という取り返しのつかない事実の裏返しでしかなく、残高に比例して積み重なるのは、後悔や自責の念だけであった。
 
その時上司になった会社の先輩に、「車を買え」と言われた。
それまでは一度も車がほしいと思ったことはなく、車を買うことで自分の生活がどうなるかあまり想像できなかったが、残高をゼロにしたかったのと、ただカレンダーをめくるだけの毎日に変化をつけたいという思いがあった。
 
本屋へ向かいカーセンサーを読み30分でディーラーを決め、実車を見て30分でサインをした。
安物のコートを買うだけで2時間も3時間も悩んでしまうのに、である。
 
 
エレキベースを買ったのは、去年のことである。
楽経験豊富な2人と、音楽経験ゼロの俺の3人でなぜかバンドを組むことになり、その足で楽器屋に向かうことになった。
店には豊富な種類のベースがあったが、果たしてどれがいいのか俺には分別があるはずもなく、ただ選んでもらったものを買うだけだったが、楽しい買い物という観点では、これは功を奏したのだろう。
俺はベースの音の鳴らし方もまだわからないというのに、3人は「バンド名は何にしようか」「武道館ライブはいつごろにしようか」「ファンの女の子が来たときに取り合いでケンカをしないようにするためのルール決め」など、バカな話し合いをしていた。
もちろんベースの音を出せるようになれば直ちに女の子からモテまくるなんて考えはなかったが、楽器を覚えることには明るい未来しかなかった。
 
 
こうして振り返ると、
  • 生活に良好な変化をもたらす可能性を感じさせるもの
  • それまで全く買おうと思ったこともないもの
  • 悩む余裕や余地がないもの
が、俺が苦痛に感じない購買活動ができる条件なのだと思うが、前の記事で書いた、買い物を楽しむ人の気持ちを想像した箇所とそんなにずれていない。
  • 私は無尽蔵に預貯金があって莫大かつ永続的な収入があるから、たかが市井の買い物などにかかる金を失うことなど、苦痛でないどころか、ショップにお金を恵んであげる行為で社員店員がみんな喜ぶわけだから、それを見る私も快楽
  • もしくは、会社から給料をもらって働くのがこの上ない楽しみであり、買い物で金を使えばまた会社で勤務して稼ぐ必要があるがそのことを考えると今からもう幸せ
  • 商品Aと商品Bのどちらがよいかなんて、見た瞬間即決できるから、悩んで苦痛を感じることなど皆無
  • 話しかけてくるアパレル店員など無視
  • もしくはアパレル店員が話しかけてきて、私もそれに返しているうちに、フレンドリーどころかフレンドそのものになってみんなハッピー

 

ただ、今は金がなくそういう無鉄砲な買い物は過去の話である。

いま楽しいのは、CDや本を買うくらいだ。