透明なものが流行っているようで、実にいいことだなーと思った直後に反省した話
今、ピンクグレープフルーツジュースに怒っている
新潟の米山元県知事の会見は、稀に見るすさまじい内容だった
ここしばらく性的スキャンダルによる謝罪会見が立て続けに行われているが、そんな中でも圧倒的に新潟の米山元県知事の会見は、人の心をうつ、すさまじい内容だったのではないか、と個人的には感じている。
通常の記者会見で要求されるのは、「事実の説明」と「謝罪」、このふたつで十分である。
だから本来であれば
「出会い系サイトで知り合った女性と援助交際をしていました。不適切な行為で謝罪するとともに、責任を取って知事職を辞任します」
とだけ言えば他には何も必要なかったはずだ。
援助交際はもちろん褒められたことではないが、男性がマネーの力を活用して女性にちやほやされたいとか性欲を発散したいという欲求は極めてよくありふれたものであるため、込み入った表現は不要であろう。
最低限の釈明さえあれば、「あーそういうことね、やりたかったのね」とわかりやすく解釈され、この件は終わっていたに違いない。
しかし、この会見はそれでは終わらなかった。
米山元県知事からは
「私としては、交際だったと思っている」
「女性の歓心を買うためのことだった」
「好きになってほしかった」
「もらう側からは、そんなことで好きになることは全くない、もらうことだけが目的だったということだったのだろう」
と続き、さらには友人の紹介で交際した女性がいたと明かした上で
「無理をしなくても愛されるって、こんなにいいのか、こんなに楽なのかと思った」
と、記者会見の持つ無機質なイメージからはかけ離れた生々しさの、あたかも心の奥底をえぐり出してぐいぐいと見せつけるかのような発言が飛び出した。
これには「そこまでぶっちゃけるか」と思ったとともに、言う必要のないことをつい漏らしてしまう元知事の不器用さ、その過度な素直さ、青臭さを感じずにはいられない。
だが、ただ「不器用な人だ」では納得できないほどの異様さを放っている。
まるで男子中学生の初めての告白ではないか。
いや、中学・高校と男子校だったからよく知らないが。
おそらく、元知事は会見に訪れた記者たちではなく、援助交際をしていた相手に話していたのではないか。
もうその女性には会うことはできない。
しかし、せめて本当の気持ちだけでも伝えたい。
そこでメディアを通じてそれを実現した、元知事なりの苦渋の決断ではなかったか。
「お前はどう思うか知らないが、いや、わかっているつもりだが、それでも俺は本気だったんだぞ」と、伝えたかったに違いない。
映画の別れのセリフさながらの。
いや、映画以上に映画的で、ロマンチックだ。
中継動画を見てみると、1時間20分もの長い会見だったようで、しかも、後半から元知事は汗だくになっている。
いやはや、すごい会見だった。
ワークライフバランスの両立とか働き方改革なんて存在しない
仮想通貨と「労働意欲とは何か?」という話
最近よく、仕事関係の人から
「お前ビットコイン(仮想通過全般の意で使われている)持ってるの?」
と尋ねられる。
聞いてくる人に共通する思惑、魂胆は
「仮想通貨でボロ儲けしている人を周囲で発見、その要領、秘訣を聞き出し、応用、自分も今後働く必要もないくらいの金員を儲け、実際に働くのをやめる」
のが理想らしい。
そのことは、俺が
「(仮想通貨は)持っていません」
と返答したら、後にだいたい
「なんだよーやってねーのかよ。誰か知りあいで億とか儲けた人いないの?」
と続くことから推し量れる。
実際、仮想通貨に代表されるビットコインは、直近1年間に限っても10倍以上の価値になっており、億単位の儲けを出した「億り人」なんて言葉も誕生、「俺も億儲けてさっさと引退したい」という思いも、単なる妄想の域を超えた現実味を帯びているように思える。
金融資本主義が発達してから、労働の意義は相対的に低下していたが、それでもまだ価格は労働(が将来的に生み出す価値)と結びついていた。
しかし、仮想通貨はもはや、労働との関連性はない。
俺には経済的な知識がほぼないので適切な表現かどうかわからないが、印象としてはより単なる数字あわせ、ゲームに近い。
そんな仮想通貨によって「1万円が数億円に」なんて一発逆転、リアル「カイジ」のような社会が現実となりつつある中、我々は労働の意味を再定義せざるを得ない。
俺が考えるこれからの労働に対するイメージを先に言うと、「一攫千金即リタイアを仮想通貨で実現するための種銭稼ぎ」である。
今までの社会では、死ぬまでに必要な金を稼ぐためには、一部の資本家や経営者などを除いて、定年まで働かなくてはならなかった。
労働市場では、一度ドロップアウトしてしまうとなかなか復帰が難しいため、相当の厳しい環境であっても逃れることができず、また、歳を重ねるにつれてより高いスキルが要求されるため、労働者はスキルの研鑽という苦行に耐える必要があった。
しかしこれからは、仮想通貨という名の賭場に行き一発当てれば人生ゴールも夢ではなく、労働はその種銭稼ぎでしかないわけだから、何も我慢することはない。
「キャリア」の呪縛から逃れ、嫌な仕事など直ちに離れ、コツコツと黙々と淡々と貯金、ゴールチャンスが来るのをじっと待っていればいいのだ。
当然、ゴールは決まらないことの方が多い。
外してしまえば、また一から種銭の充填をやり直せばいいだけの話だ。
当たった者から労働の呪縛から一抜け、先立つ者がうらやましくても「次は自分の番だ」と思えれば仕事の辛さにも耐えられる。
どれだけ頑張っても定年まで続く気が遠くなるような会社員人生に比べれば、どれだけ夢がある話だろうか。
今後、ますます労働に対する信仰は失われていくだろう。