初めて会うアメリカ人と友人になり、彼の運転する車で送ってもらっていた時の会話にて。
車内には俺と彼の2人しかおらず、彼は日本語が全く話せない。
沈黙が続いたのは俺の英語力不足のせいだった。
その男は、どんな音楽が好きなのか。と俺に尋ねてきた。
ちなみに彼はL'Arc~en~Cielが好きらしい。
理由は忘れた。
歌詞はわからないはずなので、グルーヴとかノリがいいとか、そんな理由だったと思う。
俺は好きなミュージシャンの名前を列挙した。
彼も知っていたり、知らなかったとしても後で聞いたりできる方がいいと思ったので、海外のアーティストの名前を中心に挙げた。
それでも彼は俺が挙げた名前のほとんどを知らなかったようで、ジャンルでいうとどういうものか。と尋ねてきた。
「うーん、ジャンルでどうのこうのってのはあんまりないけど、プログレッシブロックとかは特に好きだね」と答えた俺は、その後、彼から「そうなんだ。さっき名前が挙がったグループは、どのあたりが”プログレッシブ”なんだい?」と聞き返されて言葉を失ってしまった。
いや本当は、音楽に限らずあらゆる芸術において、新しく発表される作品には、何かしらプログレッシブな要素があるべきなのではないか。
そんな問いをつきつけられるともうダメで、
「プログレッシブロックと呼ばれている音楽が、ロックと呼ばれている音楽と比較して、先進的と確かに言えるのか?」
「中島らもは『ロックとは音楽のジャンルではなく、ひとつの生き方だ』と言ったが、“プログレッシブ”は生き方以前の音楽へ向き合う精神性を指す言葉だと思うから、ジャンルのひとつとして定義するのは適切ではないのでは?」
などと思考がぐるぐるしてしまい、車中は再び沈黙。
彼は俺が英語に困っているのだと思ってか、好きな食べ物の話に話題を変えてくれたが、俺としては「英語でなんて言えばいいのかわからない」などといった次元よりかは高度な悩みからの沈黙であったことを伝える術を持たないことをもどかしく感じた。
ちなみに、俺は音楽に詳しくないのでわからないが、音楽のジャンルとしての”プログレッシブ”を明確に定義するものが、もしかしたらあるのかもしれない。
それを知らないこともまたもどかしいし、そんなこと言ったら人生なんて本質的にもどかしいことの集合体で構成されているようなものだから、仕方ない。
しかし、世の中には俺のような人ばかりではなく、「人生思い通りいかずにもどかしい」どころか「アイムアパーフェクトヒューマン」などと本気で思っている人が一定数いて、そんな人たちには俺の考えなど絶対に理解されることがないだろうし、反対に俺もパーフェクトヒューマンたちがパーフェクトヒューマンたりえる根拠が何でありどうやって入手するかを知らないから、またもどかしい。