最近、インターネットで
「一流の人が絶対にしないなんとか」
「二流の人と一流の人の、なんとかでわかる違い3つ」
「一流はこうして、二流はこう、で、こうするのは三流のおっさん」
などといったタイトルの記事を頻繁に目にする。
領域を問わず、「一流」と呼ばれて嫌な気がする人なんていないし、それは俺だって同様。
「一流」になれば人からの羨望も集まるだろうし、なんせ、仕事を依頼してくる相手から「一流」と認められれば、懐に入ってくる金員の額が跳ね上がるはずである。
「一流に近づくために何をすればいいのか書いてあるのん?」と期待して、俺はその手の記事をいつも開いてしまうのだ。
しかし残念なことに、「一流の人はこんなことしない」「こんなことをやっている奴は二流、三流」と書かれている項目の大半は、俺の現在進行系の習慣、行動様式にがっつり当てはまっており、「一流と二流の差を教えてくれる、親切な記事」は、いつの間にか「俺を二流三流と断定する、容赦ない人でなし、鬼畜」に、姿を変えているのである。
そんな親切なおじさんの皮を被った鬼畜に何度も期待を裏切られながらも、「これは一流になるための試練」と勝手に自分を奮い立たせ、「二流がしないなんとか」といったその手の記事タイトルを見つければこれを敬遠することなくアクセス。
しかし毎回、記事を読んだ後に思い知るのは、「俺は二流、三流である」という、紛うことない事実。
ここで、俺が敬愛する漫画家・福本伸行先生作の『天』に出てくる名セリフを、この手の記事に毎回つられる俺自身に、「俺→インターネット(世界中)→俺」というえらく遠回りなルートで、おくりたいと思う。
いいじゃないか…! 三流で…!熱い三流なら 上等よ…!
というわけで、あしたから熱くがんばろう。