勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

透明なものが流行っているようで、実にいいことだなーと思った直後に反省した話

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ちょっと前に、テレビや雑誌で立て続けに見て、割と強く印象に残っていたのだが、最近透明なものが流行っているらしい。
身近なところでは、飲料がそう。
お茶や有色のジュースにかわって、フレーバーウォーターと呼ばれる、一見すると水だが味や香りがついた飲料が売上を伸ばしているのだとか。
限りなく透明に近いヨーグルト飲料なんて商品も出ているらしい。
清涼飲料水が透明なのはまだわかるが、ヨーグルトやコーヒーやビールまで透明なものが作られ始めていると聞くと、やや不気味な感じもする。
 
また、少し離れたところでは、若者、特に女性の衣装や持ち物が透明化してきているらしい。
「少し離れた」とは、俺が若者ではなく、ましてや女性ではない、いわゆるおっさんであり、その点で若者や女性から「離れている」という意味で言ったのだが、そうはいっても同じ社会人、会ったり話したりする機会も今後あるかもしれないから、「少し」をつける見栄をはってしまった。
現実には、俺の周りに若い女性はもうほぼゼロだから、実際に透明化が進んでいるかどうかを確認する方法はない。
あくまでメディアの情報による限りでは、カバンや靴、アクセサリや服でも、透明なものがよく売れるようになっているようなのだ。
 
いったいなぜ透明なものがもてはやされるようになってきたのか。
といったことを、主に経済誌などで執筆している人たちが分析していた。
見てみると、主な論旨は「飲料は健康志向、透明な方がなんだか健康に良さそうだから。身につけるものは、透明な方がインスタ映えするから」ということらしい。
 
俺は率直に言って、「なるほどなーさすがこういう一流誌やインターネットサイトで執筆しているような人は、分析力、洞察力が一流で、凡人には提示できない視座を提示できるもんなのだな」と思った。
翻って自分を省みると、自分の阿呆さ、愚鈍さを思い知ることとなり、暗澹たる気持ちになった。
なぜなら、俺は「ほほーん。なんでやろ。まあええわ。そんなことよりこの傾向がバンバン進んで、みな裸同然の格好で出歩くようになれば、24時間フリーラッキーエロタイムやんけ。ナイスですね」くらいのことしか考えていなかったからだ。
こういう日々のひとつひとつの考察、思慮が積み重なり、長い年月の後には、超人と赤子、人とミジンコくらいの圧倒的な差がついてしまうのであろう。
 
俺は、Newspicksでも始めようかと思う。