勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

なぜ「高輪ゲートウェイ駅」という名前になったのか

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山手線新駅の「高輪ゲートウェイ」という名称が話題を呼んでいる。
発表直後からネット上では「めちゃめちゃダサい」という意見が圧倒的であり、また、「高輪ゲートウェイ」が全応募の中で130位だったことから、公募の意義を問う声が多く、さらには撤回を求める署名運動が起こるなど、しばらく批判が収まりそうにない勢いだ。
 
社会的影響力や重要度の高さを考えると、いいかげんなガキが「ウェイウェイ」って勢いで決めたものであるわけがなく、地位のある偉い大人がたくさん集まり検討に検討を重ねた結果に違いない。
それにもかかわらず、どうしてこのような事態になってしまったのだろうか?
 
「カタカナ混じりの駅名が近年の流行」といった分析もあるが、そんなに単純なことではないと思う。
 
 
そもそも「名前」とは、
ある人や事物を他の人や事物と区別して表すために付けた呼び方(大辞林
である。
 
区別することを目的にするのであれば「高輪」の二文字で十分であり、「ゲートウェイ」なしでも名前として十分に機能している。
事実、ネット上では「『高輪』でいいじゃん」とだれもが思っているように見える。
では、「ゲートウェイ」はなんのために付けられたのか。
 
この疑問に対しては、JR東日本が選定理由を発表している。
 
この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。 新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。 新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました。
 
つまり、「ゲートウェイ」を付け足すことにより、「交流拠点であること」を明文化し、街全体が国際交流起点として発展することにつなげようという狙いなのだ。
 
これが機能するかどうかは誰か別の人に考えてもらえればいいと思うが、JR東日本が発表した文を読むとひとつ明白なことがある。
それは、「他と区別するため」という「名前」の目的を逸脱して、「高輪ゲートウェイ」の名が付けられているということだ。
 
 
なぜ逸脱したのだろうか。
気になって眠れないので考えると、ひとつ似たような事例を思い出した。
 
「キラキラネーム」である。
 
今から5年ほど社会問題にまでなった「キラキラネーム」。
思い返してみるとこれも、「名前というスペースを使って、子供の個性を表現したい」親の過剰なまでの顕示志向が発露したものであった。
その想いが、「他と区別するため」という「名前」本来の目的をはるかに凌駕してしまい、結果「何と読むのかわからない」と「区別することすらできない」状態に陥ってしまうのである。
 
 
山手線の他の駅は1900年前後から名付けられてきたものだそうだ。
そんな輪の中に、突然2018年に誕生した「キラキラネーム」が飛び込むのだから、違和感がないわけがない。
しかし、山手線以外の私鉄や地方の路線では、もう少し早いタイミングで「駅のキラキラネーム化」は進んでいたようだし、SNSなどを手にしてしまった現代人は、「自分を表現することは善である」という意識を自然に持ってしまっているから、人はもちろん駅も「キラキラネーム」化は止まらないものと思う。