先日、お仕事でお世話になっている方の結婚式に行ってきた。
結婚式に出席するのは、およそ2年ぶりだ。
それはもうすばらしい式で、何がすばらしいかというと、出席者全員が新郎新婦に好感をもって祝福していることがびんびんに伝わってくる感じ。
そして、さらにすばらしいことに、出席者には新郎新婦から引き出物を送られた、俺を含めて。
実にありがたい。
とてもすばらしい。
そんなすばらしい式を終えて帰宅、引き出物を開封すると、カタログギフトが入っていた。
カタログギフト。
それはそれはもうすばらしいもので、何がすばらしいかというと、プレゼントは得てして、贈る側がよかれと思って選んだものが、もらう側からするといらないものであったりするケースが多く、せっかく贈ったのに全然喜ばれず残念、せっかくもらったのに全然うれしくなく残念、という結末になってしまうことが少なくない。
その点カタログギフトは秀逸で、もらう側が品物を自由にチョイスすることができ、もらう側は自分が欲しいものをもらうことができるからハッピー、贈る側は相手が何がほしいかわからないままに確実に欲しいものをプレゼントできて、相手にも喜ばれるからハッピー。
しかも結婚式に出席する全員が同一のものを欲しがるわけがない中で、全員に喜ばれるプレゼントとはカタログギフト以外に存在し得ない。
まさに究極の贈り物であり、結婚式の引き出物にカタログギフトを選択しない人は、ちょっとどうかしていると言わざるを得ない、とすら思う。
そんなものをもらって嬉々とした気持ちでカタログギフトを開封、すると、当然ではあるが、カタログが入っていた。
俺は社交性が低く、結婚式にバンバン呼ばれるタイプの人間ではないため出席回数が極端に少ない方ではあると思うが、それでも三十余年ほど生きてきてカタログギフトを見たことがない、なんてことはない。
しかし、今回ばかりはそのカタログを見て驚愕した。
何にかというと、そのカタログの分厚さにである。
目次を見ると親切にも、「総ページ 530ページ」と書かれていた。
1ページに3~4品ほど掲載されていることを考えると、概算でも2000品程度から選ぶことができるようだ。
しばらく結婚式に呼ばれないうちに、カタログギフトはここまで厚くなっていたのか。
と、ここまでカタログギフトを絶賛激賞してきておきながら告白するが、俺はこのカタログギフトが少々苦手である。
そう、決められないのである。
別に優柔不断なわけではない、と自分では思う。
「あー腹減った、飯食おか」などと思ってカレー屋に入り、カツカレーにするかチキンカレーにするかを決めるのは簡単である。
しかし、風鈴ときりたんぽ鍋セットのどっちがいいか、という選択は次元が違いすぎて選べないのだ。
しかも今回、2000品である。
2000品から1品決めるなんて、そこそこの規模の町のPR大使を選ぶくらいのオーディションである。
うーん、これは決められないなぁ、と添付された申し込み用はがきを見ると、「締切日 受取日より4ヶ月後」と書かれていたので、取りあえず決めるのを先送りにした。
4ヶ月後にまた俺は決断に苦しむだろう。
「自由とは、自由であるべく、不自由になることである」
フランスの哲学者サルトルはそう言ったらしい、と今知ったが、フランスにはそんなに前からカタログギフトが存在したようだ。