「不動産は私を裏切らない」
先日見かけたチラシにかかれていたセリフだ。
一見すると何を言っているのかわからないが、名言であるといえよう。
わけがわからないがしかし、ではなく、「わけがわからないこと」そのものが、この言葉を名言たらしめているように思う。
人はわけがわからないからこそ、ありがたがるのだ。
もうひとつは”湧き出る自信”であろう。
やはり名言は、思い切りよく断定してこそ、である。
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さて、話題を「不動産は私を裏切らない」に戻そう。
なぜこの名言の作者はそう感じたのか。
不動産が人を裏切ったり、はたまた裏切らなかったり、と、その相手によって態度を変えるような人格性を持つと考えるのはいささかオカルトティックである。
したがってその理由は、不動産側にではなく作者側に求めるのが合理的だろう。
つまり、作者は完全に、根源的に、不動産を信じていた、ということである。
そのため、仮に不動産から一度や二度、裏切られたことがあったとしても、私(作者)は不動産を100%信じ切っているから
「うまくいかないのは不動産のせいじゃない、私が悪い。不動産は私を裏切るわけがない」
となるのである。
もちろん作者自身、相当不動産に長けていたのだろうと思われる。
なぜなら、10回中5回も6回も不動産に裏切られたにも関わらず、完全に不動産を信じ切っている人がいるとすれば、それは馬鹿だからである。
逆に100回中3回くらいうまくいかないことがあっても、「裏切られた」とは感じないであろう。
まとめると、
「不動産は私を裏切らない」
ではなく
「私は不動産を裏切らない」
なのであり、だからこそ
「不動産は私を裏切らない」
という境地にまで達することができるのである。
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ひるがえって、自分のことを考えてみる。
なぜここで自分の話をするのかというと、これが私のブログだからである。
おれには、
「何かは俺を裏切らない」
と思い込むことができるくらい、信じ切っている”何か”はあるだろうか。
しばらく考えてみた。
仕事?
競馬?
麻雀?
仮想通貨?
いやいや、どれも裏切ったり裏切られたりばかりだ…。
思いつかないので業を煮やして用もなくコンビニにぷらっと立ち寄ってみたが、やはり何もない。
このままでは俺は名言を生み出せない人のままなので、これからの残りの人生をかけて、信じきれるような何かを見つけたいと思う。