勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

もうじき「ただおいしいから食べる」ことはできなくなる

f:id:suzuki1001:20200206012536p:plain

「人間はなぜ物を食べるのか」
 
ある人は
「腹が減ったから」
と答えるだろうし、もう少し科学的な論考を好む人であれば
「あらゆる生命体は活動するためのエネルギーが必要であり、それを生成することができない人間をはじめとする動物は、エネルギー摂取のために物を食べるのである」
とか
「健康的な生活を送るためには人体が必要とする栄養素がそれぞれ何ミリグラム摂取するべきである、などといった国家が推奨する分量を確保するため」
と言うだろう。
 
また、科学的論考ではなく文化、人文学に志向する人は
「あらゆる動物の中で唯一文化的動物である人間にとっては、食事という行為も文化的でなくてはならない。したがってそれは当然『カロリーすなわりエネルギー摂取』という単純、素朴な目的に留まるべきではなく、食事そのものを楽しむために味の向上は際限なくそれを追求しなければならないし、食事をする場所の雰囲気も大変重要である」
といった発言をするかもしれない。
 
人によって違いはあるが、だいたいこのパターンに収斂される。
と、ある日までは思っていた。
 
 
先日、あるドラッグストアを訪問した。
店内のある一角に菓子類を陳列している棚があったのだが、そこに並ぶ商品を見て驚愕した。
 
「目の疲労感を軽減するチョコレート」
「指先の冷えを軽減するチョコレート」
「事務的な作業による一時的・心理的なストレスを低減するチョコレート」
「脂肪や糖の吸収を抑えるチョコレート」
 
俺が知っているチョコレートといえば「カカオなんとかパーセント」とか「苺のフレイバーが楽しめる」とか「さくさくした食感がナイス」とか、そういう要素で差別化や競争をしていたものだったが、俺が目を離した隙にここまで進化していたのか。
 
あまりの衝撃にふらつきながら店内を歩いていると、横にはガム陳列棚があって、そこはキシリトールとか「ミント」とか見慣れた商品が並んでいた。
「ここは早すぎる進歩から免れられたユートピアか、落ち着くなあ」とひと安心していたら、またしても目に飛び込んできたのが
 
「ストレスや疲労感を軽減するガム」
「記憶力を維持するガム」
 
と、やはりここでも斬新なガムを目の当たりにしてしまい、「ガムまで資本主義に侵されてしまった」と、あまりのショックに俺は思わず何も買わずにドラッグストアを退店してしまった。
 
こういった真新しい商品を開発する企業努力はきっとすさまじいものであって頭が下がる思いだが、問題なのは「なぜ物を食べるのか」である。
人が物を食べる理由に大きな変化を及ぼすことは避けられないのだ。
 
というのも、例えば普段から冷え性に悩まされている人であれば、指先の冷えを軽減する最先端のチョコレートと、指先の冷えを軽減しない凡庸なチョコレートが並んでいれば、指先の冷えを軽減するチョコレートを選ぶに決まっているのであり、これはもはや、「指先の冷えを軽減するためにチョコレートを食べている」状態とそれほど遠くないのである。
 
売上を伸ばそうとする企業努力はすさまじいものである。
今後、さらなる血が出るような企業努力を続けた結果、
「一発で体脂肪率が10%になるハンバーガー」
「瞬時に偏差値が70に到達するカルボナーラ
「100mが2秒早く走れるようになる揚げ出し豆腐」
なる食品が開発、販売されるようになることは時間の問題であり、これはもう少々まずかろうが間違いなく選ぶだろうし、ここまで強力な機能がついた食品であれば、「物を食べる目的」は完全に付加機能の方に移ってしまうだろう。
 
さすがにそれは大げさだろう大馬鹿者が、と僕のことをあざ笑う人もいるかもしれない。
しかし、俺らが子供だったころ(それは20~30年前のことを指しているのですが)に、「目の疲労感を軽減するチョコレート」が100円そこそこで売られるようになるなんて、果たしてどれだけの人が予想していただろうか。
 
これから技術が進歩するにつれてさらに、「物を食べる理由」だけでなく、「温泉に入る理由」や「車に乗る理由」は、付加機能に支配されていくのだろうと思う。
我々は「意味」から逃れられなくなるのだろうか。
 
そんな世の中へのわずかな鼓動を感じたドラッグストアの菓子棚だった。