勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

本来の意味でのソーシャルディスタンス問題

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コロナウイルスの到来によって、意味が変わってしまった言葉がある。
 
「ソーシャルディスタンス」とは、もともとは感染予防のために確保するべきとされる2メートルのことではなく、これ以上近づいたら不快に感じるという距離、もしくは馴れ馴れしさのような“距離感”と呼ぶべきもののことを指していた。
つまり、疫学的な言葉ではなく、社会学的な言葉だった。
 
しかし俺個人的には、「ソーシャル」という単語が入っていることで、新しい用途はどうもしっくり来ないのだ。
 
 
中学・高校と男子校なるものに入ってしまったため、大学では6年ぶりに女性と会話を交わすこととなった。
これほどまで長くしかも人格形成にとって極めて重要な期間を、異性と接触することなく過ごすのは明らかに偏った環境であり、偏った環境は、良くも悪くも偏った人格を形成する。
その犠牲者は決して少なくはなく、俺は幸いにも早いうちに修正することができたと思っているが、もう30代後半になっている俺の同級生世代でも、未だに影響を引きずっている者もいるかもしれない。
 
影響の中で代表的なものが、6年も女性と会話をせずにいると、女性との間の「適切なソーシャルディスタンス」がわからなくなることである。
小学校の時はどうしていただろうかなんて覚えていない。
仮に覚えていたとしても、大学生が小学生と同じような対人関係を取るのが正しいとも思えない。
また、同性と同じような態度で接していいのかもわからない。
もし「問題ない」と誰かが教えてくれたとしても、実行するのは簡単なことではない。
 
正しい「ソーシャルディスタンス」がわからない場合どうなるかには、2パターンある。
ひとつは必要以上に距離を取ってしまう、もうひとつは逆にあまりにも近づきすぎてしまう、である。
必要以上に距離を取ってしまうのは、女性から嫌われてしまうのではないかという恐怖感や、単に未知なるものに対する恐れなどが原因である。
一方で必要な距離を取ることができないのは、女性と仲良くなりたい想いが行動に表れてしまうことが主な要因だろう。
ちなみに俺は前者の典型で、1年生の同じクラスになった女子のひとりからメールアドレスを聞かれたときに拒否した経験があるが、何を恐れていたのかはあまり覚えていない。
克服して適切な距離感で接することができるようになるには、1年くらいかかった。
ただこれはどうやら幸運だったようで、矯正できないまま卒業を迎えてしまったように俺には見える人も少なからずいた。
 
異性との適切な「ソーシャルディスタンス」は人と会いながら少しずつ掴んでいくものだと思うが、人と会うことが制限されているコロナ禍の今では、それもままならないだろう。
当事者にとっては2メートルどころではなく、遠い崖の対岸のように感じられるはずだ。