新卒で入った会社の初期配属は、その後の社会人キャリアを考える上で大変重要である。
そんな初期配属で俺は、最も行きたくないどころか「ここに配属されたら会社を辞めよう」とすら思っていた営業職に配属され、しかし結局辞める勇気もないまま、やる気もなくずるずると会社に残っていた。
そのような状態や心境では当然仕事ができるようになるわけもなく、悪い先輩と「給料ドロボウズ」というユニットを組んでサボりまくったこと3年間、ついに見かねた偉い人によって部署を変えられ、同時に上司も変わった。
もっとも次の部署も営業であり、「営業だけは死んでもやりたくない」と思っていた俺のモチベーションは当初ほとんど変わらなかったが、常時監視化に置かれ、仕事をサボることができる環境は失われ、「給料ドロボウズ」は自然解消した。
新しくついた上司のもとで働き始めて1ヶ月ほど経過したある日、いきなりその上司から、以下3つのうちどれかを選ぶように言われた。
- 外車のスポーツカーを買う
- サーフィンを始める
- キャンプを始める
「どれも嫌だ」と言ったが、「どれかひとつはやれ」と返された。
サーフィンやキャンプを一緒にやる友人などいない俺にとってそれらは単独でやるにはハードルが高く、翌週にディーラーに行った俺はその場で車を買った。
Alfa159という名のその車はめちゃめちゃかっこいい車で俺は一目惚れだったが、440万円を即金で支払った俺は翌月の家賃の支払いにすら困る状況がしばらく続いた。
なぜこの3つをさせようと考えたのか、後で上司に聞いてみた。
論理的に考えれば、これらはどれもやる必要もないし、やるべきでもない。
車なんて東京で一人暮らしをしていれば必要ないし、サーフィンやキャンプはそんなことを一緒にやってくれる友達もいないし金がかかるし面倒だし寒いしやったところで何か学ぶことがあるわけでもない、家で映画鑑賞や読書をしている方が楽だし何かしら得られるものがある。
冷静に考えるほど今から始めるべきではない理由ばかり思いついてしまうが、それでもやってみる経験をすることで、いざという時に「冷静にかつ論理的に考えればやるべきではないけど、どうしてもやりたい」ことに、意を決して飛び込めるようになるのではないか。
要約するとこんな理由だった。
その割には440万円という出費は大きすぎたのではないか、と、その時は思っていた。
ところが、以降、俺の快進撃が始まった。
すなわち、重大に思える決断を、悩むことなくばんばん下した。
結婚したし、家を購入したし、離婚もしたし、35歳にして未経験の職種に転職までした。
440万円の買い物を1分で決断できたのだから、当然のことである。
もっとも、その車ももう手放してしまったが。
外車は維持費が高すぎる。
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「蔦屋家電とは何ぞや?」という人のために簡潔に説明すると、それは全く新しいスタイルの家電店で、最先端の技術を駆使した製品やクラシックなスタイルなどを取り揃え、居心地のいい上質な空間までも提案する店舗、らしい。
二子玉川 蔦屋家電 | 蔦屋書店を中核とした生活提案型商業施設
現在俺は、一度買った家を出て7畳のワンルームに住み、料理は一切せず台所には酒のボトルが並ぶのみと、上質とはほど遠い生活を送っており、蔦屋家電で一品でも購入して上質な生活を手に入れてやろうと意気込んでいた。
店に並んでいたのは、30万円の電動自転車、7万円の酵素玄米用炊飯器、世界一のバリスタの腕前をAIが再現した11万円のコーヒーメーカー、1人用サイズなのに38万円する冷蔵庫、先から電流が流れるという20万円するブラシ、ワインボトルの形をしたちょっと明るくなる気もするくらいの5万円の卓上照明、家で映画館と同じくらいの迫力ある映像&音を楽しめる70万円くらいのホームシアターなど、それはそれは超上質な品ばかり。
あまりの上質さに圧倒され、俺は恐怖すら感じてしまった。
そして何ひとつ購入することもできず、ほうほうの体で店を後にする。
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帰りの電車の中で、蔦屋家電に恐怖を感じた自分自身を分析してみた。
上質とは沼である。
つまり、いったん上質なものを味わってしまうと、それが日常となり当たり前となり、二度と低質なものに戻ることはできなくなる。
今日、上質なトースターを買ってしまえば、そのとなりにある冷蔵庫が低質であることに耐えられなくなるのだ。
したがって、一度上質への道を歩むことを決めてしまったら、引き返すことはできない、ただ前進するのみ。
しかし、上質なものは高価でもある。
上質への道を進めば進むほど、比例して出費が嵩む。
道の行き着く先の風景は甘美だが、潤沢に金を持ち合わせていない者にとって、その道中は地獄だ。
俺はいま会社勤めをして毎月の賃金を受け取っているが、その賃金がいつ下がるかもわからないし、いつ会社を辞めたいと思うかも、もしくは、いつ会社から放逐されるかもわからない。
そう考えると、一方通行である「上質への道」など到底進めるものではない。
車を買った12年前に440万円をかけて俺が破壊した自分自身の中の何かは、完全に自然修復してしまったのかもしれない。