勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

今月スマートフォンの画面を割ってしまった時に気づいた「俺は勝負師ではない」

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2カ月ほど前に、スマートフォンが従来の厚さの1.5倍くらいまでに膨れ上がったことがあった。
充電すると経験したことのないくらい発熱があったことから、おそらく電池の酷使による膨張であると推測、このままだともっとパンパンギュンギュンに膨張して破裂するか、はたまた電池が使用不能になるか、いずれにしてもスマートフォンが使えなくなると考えた俺は、インターネットで、スマートフォンの中から電池を取り出して新しい電池と交換してくれる店舗を検索、有償の電池交換サービスを受けることにした。
 
行ってスマートフォンをぱかっと開けてみると、やっぱり電池が膨れあがっており、新品と交換してもらう対価として1万円を支払った。
 
さあ帰ろうかと思っていると、電池を交換してくれた店員が
「今なら月700円で端末に補償をつけられるよ。次に修理に来たらタダでやるよ。どうする?」
と言ってくる。
俺はここで
「たしかに月にたった700円を負担するだけで次回の修理代金がかからないのは、とても経済的で魅力的、つまり採用するのが合理的に思える」
と一度は考えるも、ここで得意の算数を発揮し
「しかし月700円ということは、年間では12を掛けて8400円。今回の修理に1万円もかかったが、一方で俺はいままで10年ほどスマートフォンを使用してきて一度たりとも画面を割ったこともないしそれ以外の修理を必要としたこともない。つまり次に何かしら修理する機会があったとしてもしばらく先のことだろう。ならばこれから払う保険金が修理代金を上回る可能性が高いし、もしかしたら保険金だけ払い続けて修理をしないことも十分考えられる。従ってこの店員の言うことを真に受けて保険に加入するのは愚。危ねぇ危ねぇ」
と考え、
「結構です」
とだけ答えて店を出た。
 
翌月、俺はスマートフォンを道に落とし、生まれてはじめて画面を割ってしまった。
 
少々の亀裂ならそのまま使えるのだろうが、俺のスマートフォンの画面は全面に細かいヒビが入りまくるほどパッキパキに割れており、ツムツムができないどころか、電話をするメッセージを送信するなどの本質的な用途にも支障をきたすほどであったため、仕方ないから修理に行くことにした。
 
その端末の正規修理店はそれほど多くなく、今回行ったのは前に電池を交換したところとは別店舗だが、同じチェーン、すなわち系列の店であった。
つまり、もし俺が先月に電池交換をした際に、店員の提案を受け入れて補償プランに加入していれば、700円の負担で修理できたのだが、俺はそれを拒否したため修理代金として18,000円を支払う羽目となってしまった。
「なぜ入らなかったのか」、俺は過去の俺自身の決断を呪ったが、今さら悔やんでも仕方がない。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、店員はまたこのタイミングで再び保険への加入を勧めてくるが、俺は
「もうさすがにスマートフォンを潰さないだろう。なぜなら10年ほどの間になかったことが1カ月の間に2度もあったのだから、これから20年は修理を必要としないというのが統計学の考え方だ。もし俺が保険に入るべき瞬間があったとすれば、それは前の電池交換の時だ」
と心の中でつぶやき、
「結構です」
とだけ答えて店を後にした。
 
 
ところで、俺は競馬をやるのだが、先週は散々だった。
俺の馬券の買い方としては、その日に行われるレースのうちだいたい3~4レースほどを選ぶのだが、買ったレースはすべて外れ、買おうかどうか迷って結局あまり自信がないからやめておいたレースはすべて当たっていた、という、ことごとく裏目に出た内容だった。
 
なぜ俺は競馬といいスマートフォンの補償プランといい、裏目を引いてしまうのか、家でひとり己の運の無さを嘆いた。
しかし思い返してみれば、これまで一度も修理を必要としなかったことはすばらしいことだし、競馬だって判断がぴたりはまってうまくいったことも何度もあった。
しかし裏目を引いたときのことの方が強く印象に残っているのだ。
憂うべきは運の無さではなく、そういうマイナスなことばかりに目が行ってしまう思考なのかもしれない。
 
名作の麻雀漫画「天牌」に登場する「麻雀職人」黒沢の台詞に
「勝負の世界なんて常に51対49にすぎない。
 俺も49も負けるが
 この2の差があるから麻雀で食っていける」
という言葉がある。
 
麻雀の達人である黒沢でも49は負けてしまう、それくらい勝負の世界は紙一重だということを表しているのだが、何をとっても凡才である俺は51どころか80負けても仕方ない。
勝負師であればそれは致命的だが、あいにく俺は勝負師ではなく会社員、勝負ごとが本職ではない。
80の負けをいつまでも悔いるのではなく、20の勝ちを喜べるようになることが、幸福感をあげることに繋がるのかもしれない。