タクシーの運転手さんとの雑談が苦手だ。
なぜなら、その内容といえばだいたい「タクシー運転手になる前は、メーカーで人事の仕事をしていたんですよ」といった自分語りか、「奥さんと子供に捨てられましてね」といった不幸自慢に限られる。
もしくは「芸能人のまるまるを乗せたことがあるんですよ」系のエピソード。
タクシーの運転手さんとの雑談テーマの99%はこの3種類のうちのどれかに当てはまることが、俺の独自調査によって判明している。
いずれも「知らんがな」と言いたくなるし無視したいが、そんなことをしたら2人しかいない密室の雰囲気が最悪になってしまうからそれも許されず、「ああそうですね」とちゃんと聞いていることの表示を強いられる。
まさに八方塞がりなのが、タクシーであり運転手との雑談なのである。
「だったらお前から話題を振ればいいではないか」という意見もあるだろう。
まさにその通りである。
物事がうまく行かないのならば、受け身に終止するのではなく自分から能動的積極的に動けばいいのであって、それをやらずに「話題がしょうもないから苦手だ」などというのは、自分勝手も甚だしい。
しかし、俺はタクシーの中においては客、自分勝手で何が悪い。
雑談をするためにタクシー乗っているわけではなく、あくまで目的地にたどり着くためのもの、しかもタクシーに乗る時なんてだいたい深夜であるからとても疲れていて、できることなら話しかけられることなくゆっくりたいのが本音なのだ。
そんな俺でも、これまでに「この雑談をもっと続けたい。目的地なんて来なけりゃいいのに」とまで思ったことが、一度だけあった。
■
たしか2011年の9月ころだったろうか。
その日は残業を終え、深夜2時ころ会社のある赤坂でタクシーを拾い、当時代々木上原にあった自宅までの帰路につこうとしていた。
東京の人ならば分かっていただけるだろうが、赤坂から代々木上原までは車で15分程度の距離である。
そんな短時間でも睡眠がを取りたいほど疲れ切っていた俺は、車が赤坂通りを滑り始めたことを確認して目を閉じたのだが、そんなことはつゆ知らず、運転手さんが話しかけてきた。
「お客さん、何の仕事してるの?」
「え。まあ、広告です」
「へぇー、じゃあたくさん芸能人とか見てきたんでしょう?」
「僕はその手の案件をほとんどやったことがなくて、見たことないんですよ」
「そうなの?私はね、何人か芸能人を乗せたことあるんだけど、その中で一番大物といえばやっぱり何といってもあれだよ、あの・・・」
ああ、またこのパターンか。
俺は落胆して、気のない相槌を続けながら、早く家に着いて欲しい、そう思っていた。
しかしここから、運転手さんの話題は、何の脈絡もないこの一言から、思いもよらぬ方向に急展開する。
「そういえば、今年の3月に東日本大震災があったでしょ。あれってアメリカによる人工地震だったって知ってますか?」
そんなトンデモ説を「日本人の3割しか知らないこと」みたいなノリで切り出されても困る。
もちろん知っているわけがない俺の眠気は一瞬にして醒めた。
「いやいや、アメリカがそんなことをするわけがないじゃないですか」
「そう思うでしょう。でもそう考えると全て辻褄が合うんですよ。証拠も沢山ありますし」
「どう辻褄合うんですか?」
俺がそう発して以降、車の中は運転手の独演会と化した。
「まずアメリカは、経済の衰退を止めるために日本経済に打撃を与える必要があったんです。それと日本に早くTPPに批准させたいって思いもあった。だからアメリカは日本と日本の原発を攻撃したんです」
「福島県沖の海底に原爆を埋めこんで爆発させれば、日本にものすごく大きな地震が起こるのに加えて、原発まで津波が届く。原爆を爆発させれば放射能反応が出てしまって原爆の存在がばれてしまうんですが、原発が損傷して放射性物質を垂れ流してしまえば、原爆の放射能と区別がつかなくなるから、原爆の証拠がなくなってしまう。だから原発を狙ったんですよ」
「しかもこのアメリカの計画を、日本の菅(かん)内閣は事前に知っていたんです。両国は結託して、震災で危機的状況に陥った日本へアメリカが手を差し伸べることで、日本人のアメリカに対する好感度を上げてTPP参加への世論の抵抗を弱める、そんなシナリオまで全て出来上がっていたんです。だからわざとお粗末な事故対応をした。なんたって放射性物質を漏らさないと証拠が隠滅できないですから。まあ売国ですよ」
「原爆を埋めて地震を起こすほどまで海底の深いところに穴を掘れる機械は、日本に2つしかないんです。そのうちの1つが、震災直前に名古屋から福島に移動していたという記録が残っています」
俺はこの運転手の話す内容を信じていたわけではなかったが、これまでまったく聞いたこともない言説の連続にすっかり興奮してしまい、アメリカと日本の政府が企てた陰謀の全貌を知りたいと心の底から思った。
しかし、である。
「お客さんこの辺ですかね?」
この時ほど「家近いなあ」と思ったことはない。
主張する内容はさておき、これほど道中を楽しませてくれた運転手は以降まだ出会っていない。