勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

俺はトイレの照明だと気がついた出来事と仕事の話

最近になって我が家で発生した、少し困ったことの話。
 
俺は毎回風呂からあがった後には、そのまま放置しておくと湿気が高くカビが生えやすいのでいつも換気扇をつけて出るようにしているのだが、突然ある日から、いくらスイッチを押しても換気扇が動作しなくなった。
 
これは困った、なんとかしなくては風呂がカビだらけになってしまって、そんな汚い風呂には入りたくない、と、入浴を拒否した俺まで汚くなっていってしまう、そんな将来を恐れたが、俺には修理をする能力はないし、管理会社に電話してわざわざ修理の日取りをすり合わせて、修理職人に依頼をするのもこれまためんどくさいなぁ、と、放置してしまっていた。
するとどうだろう、換気できず湿気にまみれた風呂では、予想に反して、カビの発生速度は換気扇の故障前とそれほど変わらなかったのである。
これはよかった、安心した俺は換気扇の故障を完全に無視、不自由の一切ない風呂ライフを送っていた。
 
しばらくして、妙なことに気がついた。
 
便所から出た俺はそのまま風呂に入ったろ、と服を脱ごうとしたら、どういうわけか、風呂の換気扇が動いていたのである。
理由はわからない。
試しに換気扇のスイッチを押してみても、換気扇は停止することなく換気を続けている。
どういうことか知らんがこいつはもう俺のコントロール下ではなくなってしまった、動かしたいときに動かすこともできないし、止めることもできない、ただ換気扇は換気扇の意思で動いたり止まったりするだけなのだ。
そう思っていたら、便所の照明の電気が点いたままになっていたことに気がつき、電力のムダづかいはダメなので照明を消したところ、便所が暗くなったのと同時に風呂の換気扇も停止したのである。
 
これはどういうことか。
俺は便所の照明をもう一度点灯させてみたところ、便所が明るくなったのと同時にやはり風呂の換気扇も動き出した。
何度かかちゃかちゃやってみても同じことの繰り返し。
どうやら便所の照明と換気扇は連動しているようだ。
思わぬ発見だったが、どうして一見何の脈絡もないこのふたつが関係しているのだろうか。
考察してみると実はそこまで荒唐無稽な話でもなさそうで、というのは、便所の照明を点灯させるのはすなわち便所を使用するということであって、便所を使用すると当然悪臭が発生するので、わざわざ換気扇の動かそうとしなくても自動的に一定の時間、換気扇が動作するようになっている。
設計者のよい心意気といえよう。
実際、俺の家の便所には、換気扇のスイッチが存在しない。
照明のスイッチのみで、これが換気扇のスイッチを兼ねている。
そして、我が家では多くの家がそういう構造を取っているのと同様に、便所と風呂が隣接していて、実際に見ていないからわからないがおそらく、換気扇の先の通気孔はつながっている。
つまり、便所の照明と便所の換気扇が、便所の換気扇と風呂の換気扇がそれぞれ同時に作動するように設計されていて、結果、便所の照明と風呂の換気扇が連動しているのだ。
 
いざ風呂の換気扇を動かすことができるとわかると、さっきまで故障を完全に無視していた俺は翻って、習慣的に、風呂上がりに換気扇を動かすようになった。
トイレの照明をつけることで。
 
よかったよかった、これにて一件落着。
と言った直後、あることに気がついた俺は、気持ちが暗くなってしまった。
 
俺は風呂の換気扇を動かすために便所の照明をつけるようになってしまったわけだが、これは少し考えれば、少々気の毒なことである。
気の毒というのは、便所の照明に対して、である。
 
この家のオーナーである俺、オーナーと言っても賃貸なのでかりそめの、であるが、そうはいってもオーナーはオーナー、そんな俺にとって便所の照明も風呂の換気扇も意のままに利用できる相手であり、言うなれば部下のようなものである。
このふたつは俺に利用される立場である点で共通しているが、便所の照明と風呂の換気扇の間には、上下関係もなければ利害関係もない。
しかし、今回の発見によって、俺は風呂の換気扇を動かすために、本来点ける必要のない便所の照明を点灯させることになった、つまり、「便所の照明君、悪いが風呂の換気扇君に仕事をしてもらうために、君に仕事をしてもらうよ。君自体の業務ではないんだけど」ということをやっているのである。
便所の照明の立場からすれば、「知らんがな。なんでそんな自分で動くこともできないやつのために誰もいない便所を照らさないといけないのか」という気持ちである。
 
ここで、「家における俺」を俺の会社の上司、「便所の照明」を俺、「風呂の換気扇」を俺の職場の後輩に置き換えれば、俺がいま職場で置かれている状況と同じになる。
つまり、「知らんがな」「直接やってくれよ」ばかり言っている。
言わされている。