最近、夕食難民になっている。
飲食店が軒並み20時に閉店してしまうため、仕事を終えて夕食をとろうとしても、開いている店がなく食べることができない。
コロナウイルスの影響で様々な業態の店舗が休業もしくは時短営業を余儀なくされているが、我々会社員は、リモートワークこそ可能になったものの、時短どころかコロナウイルスへの対策を万全にした上での業務遂行を求められ、その業務量は激増、時短どころか以前にもまして勤務時間は長くなっており、世間とは逆方向へ進んでいる。
世の中が時短化に向かうなら俺の仕事も時短になってほしいのだが、そうはいかず時長になる一方で、それでも24時間営業の店によって俺は不自由ない食生活ライフスタイルを営むことができていたのだが、今では食事の確保にすら苦心するようになってしまった。
会議中に議論が長引いて20時が近づいてしまい、「うわもうすぐ店が全部閉まる、もう飯が食べられない」と思っても、「店が閉まるからいったん会議を休憩して飯を食ってきてもいいですか?」なんてことは言えないのである。
そんな私の強い味方が、食事は20時で終わってしまうがテイクアウトだけは深夜も継続してくれている吉野家と、オリジン弁当と、コンビニエンスストアである。
この3本の柱をローテーションして、なんとかやりすごしている。
ごくまれにUber Eatsなどで食べたことのない店から届けてもらうといった贅沢もするものの、俺ひとりの飯のためにひとりの配達員の方を煩わせるのも気が引けてしまい、それくらいならきのうもオリジン弁当だったけど今日もオリジン弁当でいいや、となるのである。
「飽きないのか?」と問われれば、とうの昔に飽きているが、それしか選択肢がないのだから仕方がない。
「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」の時代に、権藤が「先発ローテーション成立してなくない?」なんてことは思わないのである。
「先発ローテーション」という概念がそもそもなかったのだから。
■
緊急事態宣言下の現在の東京では、百貨店などの大型商業施設へ「生活必需品のみの営業再開に留めるように」と要請が出されている。
しかしこの「生活必需品」という曖昧な表現が、「そうは言うけどじゃあどこまでが必需品で、どの売り場は再開してええの?」と各事業者を悩ませてしまっているらしい。
上の例にあるとおり、食品は疑いようのない「生活必需品」である。
では服はどうなんだ、観葉植物はどうなんだ、腕時計はどうなんだ、ブランドもののバッグはどうなんだ。
個人的な意見は以下のとおりである。
- 服は防寒上必要だし、服を着ないで屋外を出歩くと犯罪になってしまうため必需品といえる。じゃあ1枚1000円のTシャツと1着20万円の外套はどちらも必需品なんかい?と尋ねられたら、俺は「いやいや外套なんて3万円もあれば十分立派なものが買えるから、20万円の外套は不要でしょ」と思うが、「じゃあいくらまでが必需品の範疇なの?」という問題は、各々の懐事情や経済観念で千差万別なので一律のルールを設けることなど現実的ではなく、邪魔くさいので服はどんなふざけた服であってもすべて必需品としてしまうのが現実的な落とし所
- 観葉植物はあくまで目で楽しむものであって見なくても死にはしないし逮捕もされない、社会的な生活が維持できないわけではないので、必需品とはいえない
- 携帯電話で時間を知ることができる現代で、腕時計などもはや己の金銭的豊かさ経済力を誇示する以外の用途はなく、到底必需品とはいえない
- ブランドもののバッグも時計と同様
読者の方の多くも賛同してくれるのではないかと思っているが、ある百貨店の「一部のフロア・ショップ・催事・イベントの営業・中止・変更」に関する情報を見ると、なんとすべて今も販売しており、これらはすべて必需品であると判断しているようだ。
どうやら俺が思っていた以上に、生活必需品の範囲は広かった。
また、百貨店各社も悩んでいるようで、12日から生活必需品の範囲を見直したところもあるらしい。
「こんなの生活していくにあたって別にいらんと思っていましたが、やっぱ無いとダメでしたわ」なんてこともあるのだから、人にとって何が必要で何が不必要かなんて、これ以上ない難問なのだろう。
百貨店各社が緊急事態宣言延長後の店舗営業について相次いで方針を決めている。高島屋は10日、東京都内の4店舗で営業を続けていた食品などの売り場に加え、12日から婦人服や紳士服などの売り場も営業を再開することを決めた。東京都は12日以降も引き続き百貨店などに休業要請する。同社は「要請を受け入れて休業するが、生活必需品の範囲を見直した」としている。エイチ・ツー・オーリテイリング(H2O)も大阪府内の5店で営業する売り場を拡大する。
■
3年ほど前に一度だけ合コンで会ったきり女性から、連絡が来た。
「お久しぶりです、覚えてますか?」
飯を食っただけで何もしていないが、初めて会った日に俺の小銭入れを見て「それ素敵な財布ですね、ください」と強奪し、20時半ころには「もう眠いので帰ります」と解散、それっきり連絡が途絶えるという、少々エキセントリックな体験をした相手だったので、記憶には残っていた。
いきなり連絡してきてどうしたのかと尋ねると、「死にそうになってるから、気になる人に声をかけている」のだそうだ。
死にそうになっている。
穏やかではないではないので、その原因を聞くと、「コロナの孤独で死にそう」という返答が返ってきた。
よく「うさぎは孤独で死ぬ」という都市伝説を耳にするが、人間にとって孤独が直接的な死因になるなんてことは聞いたことがない。
やはりどこか奇矯なところがあるなあ。
そう俺は思ったが、ある人にとっては「他人との接触」が「生活必需品」になるということだろうか。
そして、もし会えば次はどんな奇抜な行動が見られるか、好奇心がないわけではなかったが、気味悪さが上回ったのでスルーすることにした。
「奇異体験」は若いころこそ「生活必需品」だったが、いまはそうではなくなってしまったのだろうか。