勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

20歳くらい歳下のインフルエンサーから励まされたよ

先日、取引先のあるおっさんから連絡があった。

「知り合いでインフルエンサーをやっている若い女性がいるのだが、相談ごとがあるらしく、いい子なんで話を聞いてもらえないか。ということで一度会え」という。

そもそも俺は、人から相談を受けて有意義な回答ができるほど、立派な人間でもなければ卓越した知見も持ち合わせていない。

周囲もそれを見抜いているのか、わざわざ相談相手に俺を選ぶ人も少ないが、選ばれた数少ない経験の中においても、受けることをなるべく避けてきた。

何も返す言葉が思いつかない時に続く沈黙の時間が耐えられないほど苦手、というのが理由だ。

 

しかし今回は、おっさんのあまりのしつこさに、押し切られてしまった。

こう書くと、おっさんだけは俺のことを、相談相手として適切であると評価しているようにも見えるが、決してそういうわけではなく、相談とはただの口実で、実際のところは、これに乗じて「仕事をよこせ」と言いたいだけなのである。

そう、おっさんにとって俺は発注元になりうる立場であり、おっさんが俺に連絡してきた理由はこの一点に尽きる。

 

当日、待ち合わせの店にいくと、そいつら3人はすでに席に座っていた。

顔見知りのおっさんが1人、こいつは俺に連絡をしてきたおっさんの部下だがそれでも俺より10以上は歳上のおっさん、向かいにはおそらくそのおっさんの部下、そしてその横には20歳そこそこに見える若い女性、この女性と俺と会わせるのが今日の表向きの趣旨であろう。

女性の向かい、それはおっさんの隣でもあるが、の席が空いていることから、そう判断できた。

 

たとえ会話が続かず居心地が悪くなったとしても、せいぜい30分程度のこと、俺は意を決して、挨拶をした後に空いた4つ目の席に座った。

そしておっさんからの説明を待っていた俺だったが、待っていたのは、予想していなかった不思議な展開だった。

 

インフルエンサーの女性もおっさんも、ひと言も発さないのである。

 

俺は「どうなってんだ早く説明しろよ」という目でおっさんのほうを向く。

するとおっさんは「どうぞ、何でも聞いてください」みたいな表情をして俺を見るだけ。

 

いやいやいやいや。

ボンクラもたいがいにしろ、おっさん。

お前らがわざわざ時間を作れって言ってきたんだろうが。

なのにそのダンマリは何よ、早よ何か言えや。

しかしおっさん、依然として「さあ、どうぞ」の目。

どうぞって言われても、俺はこの人に用はないよ。

はよ、どうぞ、はよ、どうぞ…視線だけで無言の攻防がなぜか続く。

年の功と気の弱さでこれに敗れた俺は、いい子なのかどころか素性も知らぬそのインフルエンサーに、出身地や趣味、最近になって上京してきた経緯など、当たり障りのない質問をした。

それには友好的な態度で回答してくれたが、そんなものはすぐに終わってしまう。

「じゃあこれで。今日はどうも」と席を後にすることができればよいが、まだ俺が来てからおそらく5分くらいしか経っていない。

さすがにそれは角が立ちすぎる。

しかしもうこれといった質問も思いつかない。

どうしようかと悩んで沈黙が続いていたその時、インフルエンサーの方が、思いも寄らぬことを言い出した。

 

「私って人に流されやすい性格で、いろいろ失敗してきたんです。これまで付き合った人が問題のある人だったり、いろいろ騙されたりすることも多くて…。」

 

(どうした、いきなりぶっこんでくるなこの子…まあいいか。ほいでほいで?)

 

「ところで、これまでの人生で一番の失敗って何ですか?」

 

え?俺の?

まさかそんなことを尋ねられるとは思ってもいなかったし、普段から聞かれることもないので、パッと回答が出てこない。

うーん、人生で最大の失敗、なんだろう…と、これまでの半生を思い返してみる。

一番だったらアレかな。

でもそんなこと、初対面の人に話すことじゃない。

とすると、ここで話せて笑えるくらいの、それでもまあまあ大きな失敗って何だろうか。

 

困ったことに、普段聞かれなれていない問いに対して答えを出すにはそれなりに考える時間が必要だが、時間がかかればかかるほど、しょうもないことを言えなくなってしまう、つまり、ハードルが上がってしまうというジレンマがある。

機転を利かせて、それっぽい、しかし当たり障りのない答えをすぐさま出すことができなくなっているほどには、俺の頭脳の回転は錆びついてしまっていて、困った俺は、頭の中の一番上にある(それが唯一に思えた)引き出しを開けて話してしまった。

 

それは、本気で俺が失敗した、しくじったと思っていること、つまり、ガチのやつである。

 

ざっくり言うと、40になるこの歳まで、心の底から本気で取り組みたいと思えることに出会えず、進路も消去法で選んだものであり、そんなことだから、ここぞという時でも全力を尽くすこともできないため、大した成果も出せず、何のために生きているのかもわからないままただなんとなく漫然と生きてきてしまった、ということである。

 

一通り話を聞き終えたインフルエンサーは、「そんなことないです。私から見たら十分に成功していらっしゃるように見えます」と無難な社交辞令で返して(そりゃそう言うしかないよね)、それで終わりかと思えば、「これから何か見つかるかもしれないので、おたがいがんばりましょうね」と励ましてきた。

20歳近くも年下の人からこんなことを言われて、俺は、居ても立っても居られない恥ずかしさと、こんな話しかできない機転の利かなさで、思わず笑ってしまいそうになったが、もう後悔しても仕方がない。

(後悔しても仕方がないのは、こんな話を打ち明けてしまったこともだし、こんな人生を歩んでしまったことに対して、でもある)

 

そんな俺の気持ちも知らぬおっさんは、呑気に、「じゃあ仕事よろしくお願いしますね」とだけ言って、やっとこの場から解放された。

 

650円のコーヒーを奢ってもらったが、気持ちの上では10000円分くらい消耗した気がした。

 

独り職場まで歩きながら、俺の脳内では、敬愛する筋肉少女帯の「踊るダメ人間」という曲が流れていた。

この曲は、大槻ケンヂ氏のこんな台詞で終わる。

 

それでも生きていかざるをえない!