勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

俺たちはおでんツンツン男からいったい何を学んだ、もしくは学ばなかったのか

回転寿司やうどん屋の客による迷惑行為の動画が話題だ。

ネットニュースによると、スシローの件は今となっては本人も反省しているようだ。

ただやっている最中は、これが面白い、見た人が笑える行為だと思ってやったのだろう。

からしたら、いや、大抵の人がそうだろうが、何が面白いのか全くわからない、流行り言葉でいえば「異次元」の意味不明さなのだが、こういうバカッター騒ぎが後を絶たないことから考えると、この面白さがわからない人の方こそ、現代の若者の感覚からは少しズレているのかもしれない。

もっとも、こんな感覚ならズレていて一向に構わないと、普通の生活を送る上では思うのだが、世の中のあらゆることに首を突っ込んで、独自の言語感覚で斬らなければならないコラムニストとしては、そうはいかない。

まあ俺はコラムニストではないからそんなことはできないし、しなくてもいいのだけど。

「回転寿司迷惑行為チャレンジ」でも流行ってるの?と疑ってしまうくらい、雨後の筍のように出てくる迷惑行為動画の数々を見て、まず思い出したのが、いわばSNS迷惑行為チャレンジの祖」である「おでんツンツン男」のことだった。

あの事件が7年ほど前の祭りであることがわかって時の流れの速さにも驚かされるが、サッカーW杯の喧騒にまぎれてひっそりと「ブレイキングダウン」への出場を発表、そしてその煽りVで、「おでんをツンツンした僕でもセカンドライフがあるから、諦めないでほしいってことを、子供たちに伝えたい」といった内容のことを言っていて、「いやいや、もっと先に伝えるべきことがあるだろ」と笑わせてもらった半年前の出来事すらも懐かしい。

www.youtube.com

 

だが実際には、俺が知らなかっただけで、彼はその「もっと先に伝えるべきこと」を、すでに伝えていたようなのだ。

 

AbemaTVに出演したり

www.youtube.com

 

文春の取材を受けていたり

bunshun.jp

 

そしてなんと昨年にはYouTubeチャンネルまで開設していたようだ。

www.youtube.com

 

AbemaTVでのトークや文春のインタビューで言っていることをざっくりまとめると

  • 人を楽しませるのはいいけど、迷惑をかけちゃいけないよ
  • いまだにツンツンとか言われるよ
  • 家族も失ったよ
  • SNSだったら何を言ってもいいってわけじゃないと思うよ
  • これからも社会のルールを守りながら人を楽しませていきたいよ

ってことだったが(詳しくは記事を読んでもらいたい)、「もっと踏み込むべきではないか」と俺は思うのだ。

 

今回のスシローやくら寿司での迷惑行為動画でも、これから彼らにどういった処分が下るかわからないが、通っている学校も名前も特定され、決して消えることのないデジタルタトゥーを全身にびっしりと刻んでしまっているし、今回に限らず、些細な気持ちでSNSに投稿したことで人生を踏み外してしまった人は後を絶たない。

バカッターの出現以降、「デジタルリテラシー教育の必要性が主張されるようになり、俺もその意見に概ね賛同するが、問題なのは「誰が教えるのか」ではないか。

 

教える資格がある人の条件として考えられるのは

  • SNSをやっている
    → これは当たり前

  • それなりにフォロワーがいる
    → フォロワーがいなくて見つからなかったから炎上を免れるような人だと困る

  • その場のノリで愚かな動画をあげてしまう気持ちと、その恐ろしさを身をもって理解している
    →これが最も難しい。「人に迷惑をかけてはいけないよ」などの生ぬるい諭しではもちろん、「逮捕されるよ」「莫大な損害賠償を請求されるよ」などといった説明すら抑止力になっていないのは、おでんツンツン男やそれに続くバイトテロに対して損害賠償が命じられた実績以降もバカッターが後をたたなかったことからも明らかである。実際に損害賠償請求が来て、もしくは日本中が自分の話題で持ち切りでSNS「140億の損害賠償だな」などといった投稿であふれかえるようになるまで、これから投稿しようとしている動画がどういった未来につながるかを想像できない者に対しては、大変な目を経験した人間による実体験の共有以外の手段がないのではないか。

と考えると、日本にはおでんツンツン男とへずまりゅうの2人しか思い当たらない。

急速に変化している最中の現代では、様々なことが過渡期だ。

時代の流れに取り残された上司が「え?これがセクハラになるの?」とわかったところで時すでに遅し、本人的には悪気がない言動によって社内での地位を失った、などといったケースも、人々の価値観が変化している最中でその変化スピードに個人差があるからこそ起こりうる。

バカッターをバカにしている人たちにも、SNSが存在する前の時代に、今だったら一生もののタトゥーになりかねない悪ノリ行為を一切したことがない、と自信を持って言い切れる人は、果たしてどれくらいの割合でいるだろうか。

 

事態は一刻の猶予も許されない。

未来ある若者による「社会的自殺行為」を止めるためにも、おでんツンツン男とへずまりゅうには、全国の小中高校、あと専門学校と大学、そして企業を行脚して、自らの経験を赤裸々に語る「デジタルリテラシー」授業を行ってほしい。

必修で。

予約は便利だが、予約してまで行きたいと思えない場所もある

先日、携帯電話会社のショップを訪れた。

前から5Gに契約を変更したいと思っていたものの、めんどくさいしこんなのは締切もないので放置していたところを、職場近くの店舗の前を通りがかった際に思い出し、次の会議までまだ時間に余裕があったのでふらっと立ち寄ったのだ。

(ちなみにどうでもいい情報だが、5Gへの切り替えはオンラインでもできるようなのだが、俺は端末を通信会社からではなく白ロムで購入したので、店舗でないと手続きができないらしい。なんとかしてほしい)

 

で、入店。

 

店員「いらっしゃいませ、今日はどういったご用件でしょうか?」

おれ「4G契約から5G契約に変更したいのですが」

店員「そうですか…今日はもう予約でいっぱいでして、申し訳ございません」

おれ「え?予約?」

店員「そうなんです。今週はほとんど予約で埋まっておりますので、来週あたりでご予約いただくのがよろしいかと…」

 

おれは「え?まだ火曜だろ?なのに今週埋まってる?この人はカリスマ携帯ショップ店員?」と思ったが、口には出さない。

しかし、急速にめんどくさくなったので

「はー、今そんなことになってるんですね。また来ます」

といって店を出た。

 

やや衝撃的な出来事だった。

「え?予約?」というセリフに、「何言ってるのこの人」という苛立ちと狼狽えが入り混じった感情がにじみ出るくらいには。

 

これは俺の偏見なのかもしれないが、携帯電話ショップなんて、ふらっと立ち寄る場所である。

いつ入ってもガラガラで、従って思い立ったときに訪れればよく、決して「よし、この日のこの時間に行こう」なんて、前々から心づもりをしていくような場所では決してない。

予約をするということは、予約を取る前には「いつに行こうかな?この日はこれとこれで忙しいし…」とか、予約を取った後にも「あっ、あしたは携帯ショップに予約を入れている日だった。忘れずに行かないと」などと、ことあるごとにこのことを念頭に置かねばならないが、たかが携帯電話契約のことで脳の一定の容量を占拠させたくないのだ。

 

しかも俺が訪問した店舗は、東京でもトップクラスの繁華街に位置していて、相当大きな店舗だったはず。

それなのに、予約は5日先までいっぱいだという。

これも経費削減、人手不足ということなのだろうか。

 

携帯ショップにふらっと入れる時代は、もはや終わってしまったようだ。

翌日、おれは銀行を訪れた。

銀行こそ携帯電話ショップを上回り、予約などせずふらっと立ち寄りたい場所ナンバーワンである。

俺の頭にはきのうの出来事が少しかすめたが、「さすが大丈夫だろう。銀行に行く予約を取る奴など存在するわけがない」と、疑念を振り切って入店。

しかしここでも、

案内役の人「今日はもう予約でいっぱいでして、申し訳ございません」

おれ「え?予約?」

店員「今週は金曜はわずかに空いておりますが、それ以外は予約で埋まっておりますので、来週あたりでご予約いただくのがよろしいかと…」

おれ(銀行はいつからこんな人気スポットになってしまったのだろうか…)

こうして2日連続で、予約を取っていないことを理由に退店を余儀なくされた。

実店舗ではなくインターネット経由での商品販売や顧客対応が普及し始めた頃、古くからある旧来型の企業は、店舗での対面接客を売りにしていた。

多少、価格が割高であっても。

しかし昨今の人手不足によって、そんなものはもはや優位性でも何でもなくなってしまった。

それでも実店舗は存在するから、価格が割高であることにかわりはなく、「不便で高い」というジレンマを抱えてしまっているように思える。

そんな店舗に2日連続で入ってしまった。

実際、俺が携帯電話ショップや銀行で受けたかったサービスは、偶々なぜかオンラインでは対応できないことだったが、そんなものがある時点でもうちょっと勘弁してほしいのであって、これを機にネット銀行と格安キャリアへの乗り換えを本格的に考えようと思った。

給水器とフェアトレードに共通する問題点

年も終わろうというタイミングでわざわざ指摘するほどのことでもないが、給水器を見るたびに疑問に思っていたことがあった。

あの「適温」ランプの野郎は、一体どういうつもりなのだろうか。

 

「どういうつもりなのだろうか」と言いつつも、意図はわかる。

「十分に冷えてますよ」と、給水器のやつが言いたいのはそういうことだろう。

しかしそれが「適温」であるかどうかは、飲む側の俺が決めることであり、お前が判断することではない。

それなのにあの腐れ「適温」ランプときたら、「冷えてますよ!」とこれみよがしにアピールしてくるばかりで、「私が思う『適温』は、あなたにとっての『適温』でしょうか?」などと配慮する思慮深さなど、一切持ち合わせていない。

何度指摘しても変わらぬ「適温」ランプの存在に、俺はいつしかそれらを糾すことを諦めてしまっていた。

そしてこの「適温」表示に感じていた不快感を、思い出す出来事があった。

あるコーヒー店でコーヒーを注文した時に店員によって付け足された

「これ、フェアトレードコーヒーなんです」

の一言である。

 

フェアトレードとは「適正な価格で生産者から買い取ること」だが、では価格が「適正」かどうかは、一体誰が決めるのだろうか。

給水器では、「適温」表示は給水器側によってなされていたが、俺はその構造に問題があると指摘した。

つまり「適温」かどうかは飲む側が決めるべきことであり、給水器側がいくらキンキンに冷やしていたとしても、飲む側の俺が「もっと冷えていてほしかった」と思えば、それは「適温」ではない。

ではフェアトレードの場合はどうだろうか。

 

給水器では飲む側(=受け手)が「適温」かどうかを決めるべき、という主張をトレードに当てはめると、買い手側(=受け手)が「適正」価格であるかどうかを決めるべき、つまり、「適正」かどうかを決めるのは買い手側である、ということになる。

しかし、今回は水の提供という関係性ではなく、売買である。

買う側、売る側一方のみが「適正」価格と感じる取引は、適正価格とは言えない。

売買とは価値の交換であるから、双方が「適正」と思えた段階で初めて「適正」なのである。

 

とここまで論じてきたが、そういえば「フェアトレード」について、俺はそんなに詳しくなかったことを思い出した。

それは議論に臨む態度として「適切」ではないので、フェアトレードについて調べてみた。

 

コーヒーや紅茶、バナナやチョコレート。日常を彩るたくさんの食べ物が世界の国々から私たちの手に届けられています。それらを生産している国、人々のことを考えてみたことはありますか?

 

日本では途上国で生産された日用品や食料品が、驚くほど安い価格で販売されていることがあります。一方生産国ではその安さを生み出すため、正当な対価が生産者に支払われなかったり、生産性を上げるために必要以上の農薬が使用され環境が破壊されたり、生産する人の健康に害を及ぼしたりといった事態が起こっています。

 

生産者が美味しくて品質の良いものを作り続けていくためには、生産者の労働環境や生活水準が保証され、また自然環境にもやさしい配慮がなされる持続可能な取引のサイクルを作っていくことが重要です。

 

フェアトレードとは直訳すると「公平・公正な貿易」。つまり、開発途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することにより、立場の弱い開発途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す「貿易のしくみ」をいいます。

引用:フェアトレードミニ講座|フェアトレードとは?|fairtrade japan|公式サイト

 

出た、「適正な価格」。

もう少し詳しく調べてみると。

 

<輸入業者側のルール>

コーヒー生産者が安定した生活ができるように、以下のルールが定められています。

 

1. フェアトレード最低価格を保証するフェアトレードコーヒーでは最低価格が決まっていて、コーヒー豆の市場価格がそれを下回った場合はその最低価格で買い取ります。最低価格が決まっているおかげで、コーヒー豆の市場価格が暴落した時も、生産者が生活ができ、コーヒーの生産を続けることができます。

 

2. フェアトレード・プレミアムという奨励金を生産者組合に支払うコーヒーの購入価格とは別に、フェアトレード・プレミアムという奨励金を支払うことで生産地を支援します。金額はコーヒー1ポンド(約454g)につき20セントです。(100gのコーヒー豆に対して5円程度)

 

3. 長期的な取り引きや、前払いの保証などこれらも生産者が長期的に安定してコーヒーの生産を続けるためのものです。

引用:フェアトレードコーヒーとは? 値段が高い理由やおすすめ通販も紹介

 

要するに

  1. 最低価格を決めますよ。
  2. 奨励金を追加で払いますよ。
  3. 長期的に取引しますよ。

ということで、結局のところ買い手側に価格決定の主導権があることに変わりはない、そう思えてしかたがない文面である。

3.の「長期的に取引しますよ」に至っては、別に善いことをしている感すらない。

他に比べればまだマシな条件を提示されれば、売り手側なんてよほど商売上手でもなければ、有難がって、本当に「適正」かどうかもわからない価格でバンバン安売りしてしまうものだということは、商売をやったことがある人ならわかるだろう。

 

完全なる「適正」価格にしようと思えば、

「言い値で買います。それに一切の異議申し立てをしませんし、え?まじ?と頭をよぎることすらなく、あなたが『適正』と思った金額が私にとっての『適正』価格です」

くらい言わなければ、「フェアトレード」など成立しない。

残念ながら、「フェアトレード」も結局のところ、給水器「適温」問題から脱却するには至っていなかったのだ。

8人の女性から立て続けに「坂口健太郎に似てる」と言われてりゅうちぇるのことを思い出した

少し前に、2時間程度の間に初めて会った8人の女性全員から、「坂口健太郎に似ている」と言われたことがあった。

私と面識のある方なら、「そんなことがあるものか。妄言を吐くのも休み休みにしろ。お前に必要なのはダルクもしくは脳ドック」と私を非難するだろうが、これは紛れもない実際に起きた出来事である。

ただこれにはからくりがあって、その2時間、俺はキャバクラにいた。

つまり8人の女性はいずれもキャバクラ嬢であり、俺に対して入れ代わり立ち代わりで接客を行っていたのだ。

 

流れはこうだ。

  1. 先輩に連れられて2人でキャバクラに入店

  2. 2人それぞれに女性が1人ずつ接客

  3. 俺についた女性Aが、俺に「俳優の坂口健太郎に似てるって言われますよね?」と言ってくる

  4. 俺は「言われたことないよ。いままで複数人から『似てますね』って言われたことのある有名人は、中田英寿笑福亭鶴瓶くらいだよ」と返答する

  5. 女性Aが「えーほんとですか?似てるけどなあ」と言って、先輩についた女性Bに「似てますよね?」と尋ねる

  6. 先輩についた女性Bが「似てる」と答える

  7. 俺についた女性Aがお時間となり交代する

  8. まだ先輩についている女性Bが、新しく俺についた女性Cに「この方が坂口健太郎に似てるって話をしてたんだけど、似てると思わない?」と尋ねる

  9. 新しく俺についた女性Cが「似てる」と回答

  10. 先輩についた女性Bが、お時間となり交代する

  11. 俺についている女性Cが、先輩に新しくついた女性Dに、「この人、坂口健太郎に似てない?」と尋ねる

  12. 先輩に新しくついた女性Dが「似てる」と回答

  13. 俺についた女性Cがお時間となり交代する

  14. 新しく俺についた女性Eが、俺に「誰か芸能人に似てるって言われません?」と尋ねる

  15. 先輩についている女性Dが「坂口健太郎よ」と言う

 

これの繰り返しである。

 

ちなみに、坂口健太郎がどんな人なのか知らないし、わざわざ検索するのも面倒だという方は、こちらをクリックしてみてください。

https://tinyurl.com/2o3xx8gj

 

「そんなくだらないことをずっとしゃべっているのか。他に話題はないのか。ムダな時間の使い方の世界チャンピオンだな」などと思わないでいただきたい。

そもそもキャバクラとは、その程度のものではないか。

 

本題に入るにあたり、いきさつの発端となった女性Aが、俺が坂口健太郎に似ていると本心から思っているかどうかは重要ではない。

問題なのは、B~Hまでの7人の女性に、誰ひとりとしてこれを否定する者がいなかった点である。

なぜこのような地獄の伝言ゲームが8人も続いてしまったのだろうか。

6年ほど前にブレイクしたタレントのりゅうちぇるが、久しぶりのテレビ出演で見違えるほど変わったと話題になっていた。

りゅうちぇるといえば、夫婦関係の解消を発表したときのSNSへの投稿が、印象に残っている。

その投稿は当時、「夫の責任の放棄だ」などと炎上したが、俺が興味を持ったのはそこではなく

「本当の自分」と「本当の自分を隠す”りゅうちぇる”」の間に溝が生まれ始め、しだいに本当の自分を隠すことが苦しくなり、生きていくことさえ辛いと思うこともあった。

 

原文ママではなく、俺による要約です。

※全文とか経緯は全部書くとめちゃめちゃ長いので、何があったのか知らない人はこのあたりを見てみてください。togetter.com

 

ここでいう「本当の自分を隠すことが辛い」の箇所だ。

 

サラリーマンをやっていると、「思っていることを言わずに、正反対のことを言う」なんてことは日常茶飯事だ。

実際につい先日も、「頼むから消えてくれないかな」と思っている上司がふらふらっと話しかけてきて、どうでもいいくだらない考えをいろいろ話しかけてくるから、「あーいいっすね」「なるほど。さすがですね」など、心の中(「いいわけないだろ馬鹿」「頼むから要らぬ余計なことなどせず黙っていてくれ、そしていち早く任期を終えてくれ」)とは真反対の言葉の数々を叩き込んできたばかりである。

上記は会社員に求められる基礎的なスキルのひとつである。

いや、程度の差こそあれ、社会生活を営むためにはある程度は必要になるものだと思っている。

ただし俺には、発言の際に目が笑っていなかったり、実際に笑っていなかったりで、心の中が透けて見えることがあるという難点があるらしい。

これが、俺の社内での出世がおぼつかない最大の原因だろう。

 

話題が横道に逸れてしまった。

こんな感じで本当の自分を何十年も隠し続けていると、「隠すことが辛い」などとは感じなくなるほどの耐性を得る。

なかには、最初からそれを持つ天性の素質に恵まれた者もいるが。

この能力を当たり前のものとして認識するほど普段から使い慣れていると、りゅうちぇるの告白に違和感を持たずにはいられないのである。

この能力の体得には、副作用がついてくる。

「坂口健太郎に似てる」を発した女性A、そしてそれを伝言ゲームで引き継いだ女性BCDEFGHが、本当に俺のことを坂口健太郎に似ているなんて思っていないことは、俺もわかっている。

なんせ、彼女たちも仕事でやっているのだ。

俺が会社で上司に対してそうしているように、彼女たちも今、俺に対してそうしているだけだ。

いや、キャバクラ嬢とは、並の会社員よりもはるかに巧みにこの能力を駆使しないとやってられない職業のはず。

引き継がれた「坂口健太郎」否定する、もしくは代案を出すよりも、乗っかった方が接客がより円滑になる、そう判断したにすぎない。

りゅうちぇるのように、「本当の自分を隠す」なんて初期段階で躓いていると、1ミリも心の中にないことを平然と発せられる人たちの攻勢には、到底太刀打ちできないではないか。

 

ACEGの4人の女性は、去り際に

「LINEを交換しましょう(イヤだけど営業しないと私も売上が上がらないから)」

と持ちかけてきて、俺はそれに応じた。

翌日以降、4人からは一様に

「この間は楽しかったです(本当の自分を隠蔽)。また来てくださいね(こっちは本心)」

とメッセージが来て、俺は

「いやキャバクラなんてのは金が捨てるほど余ってる人だけができる遊びでしょう。この間は奢ってもらったけど、自分の金では行けるわけがないよね。というか、全員が本当の自分を隠して発言してることはこっちもわかってるし、そんなやりとりの何が楽しいのか、さっぱり判らん」

という「本当の自分」を隠して、再訪する旨の返信をしている。

岸田首相が気の毒になってきた

10年ほど前に、とある超突貫のWEB開発案件を担当したことがあった。

俺が担当する前から発注元とのトラブルが絶えず、火消しのために途中からの投入だった。

案の定、公開直後から不具合が多発し、1日に2種の異なる経緯報告書を提出し終えたときに、これは「不運」という表現では生ぬるいと感じ、お祓いに行くことを決めた。

普段あまり頻繁には見ないTwitterをきのう見ていたら、「岸田に殺される」がトレンドにあがっていた。

「岸田」は無論、岸田首相を指していることは、見た瞬間にわかった。

岸田首相といえば、「検討使」と揶揄されるくらい「何もしない」という評価になってしまっているくらいだから、「また何もしないのかよ」という反応ならまだしも、「殺される」というのは「積極的に殺しにかかっている」の裏返しであり、「検討使」に対する反応としては仰々しく感じた。

 

そう思って「岸田に殺される」がバズったきっかけを見てみると、税制調査会で、増税を検討すべき、という意見が出ました」という内容の記事だった。

またしても「検討」である。

まだ「実行」には移されていない。

さらに、岸田首相だって、きっと将来の日本のためを思ってのことであり、決して本当に殺してやろうなんて、1ミリでも考えているわけがないのである。

にもかかわらず、「殺される」である。

岸田首相がTwitterのトレンドを見ているかどうかはわからないが、いくらなんでもひどすぎるのではないだろうか。

岸田さんが首相になってからというもの

コロナウイルスの蔓延(首相になる前からあったが)

ロシアウクライナ戦争

安倍元首相の銃殺事件

自民党内の統一教会問題

急激な円安

台湾有事への懸念

などなど、歴史の教科書に載るであろう大きく難解な問題が、ものすごく短い期間に立て続けに発生している。

これらの問題はゆっくりじっくり腰を据えて「検討」しているような猶予のないものばかりであり、いち早く結論を出して行動に移さなければ、国民からの非難を免れない。

しかし、おそらくだが、岸田首相はとても真面目な性格で、物事に対して誠実な対応をせずにはいられない、そんなタイプの人であろう。

会ったこともないし、「君は人を見る目がないね」と何度か言われたことがあるので、見当外れかもしれないが。

そんな人だから、コロナウイルスのような未知なる疫病が流行したときも、未知なのだからわからないことだらけで当然なのに「僕にはわかんないです」とは言えないし、かといって、わからないけどとりあえず適当なことを言って茶を濁しておくのも、それはそれで不誠実だと考えてしまってできない。

また、国民にとって都合の悪いことも「検討」しなければならないと考えるのも、誠実さの表れといえよう。

「検討使」と異名を取るほど、真面目に、真摯に向き合ってちゃんと考えたい岸田さんにとっては、正直「向いてない仕事」といって過言ではないだろう。

何しろ、正しいと思っていることを誠実にやり続けることで、誰からも非難されてしまうのだ。

そんな地位に就いてしまったのは、不運としか言いようがない。

 

さらに遡れば、「おれもしかして首相になれるんじゃね?」と思ってしまうようなポジションに到達できてしまったことも不運だし、政治家の道を選んでしまったのも、首相就任までの地獄の淵を通る「ヘル・エッジ・ロード」を行くきっかけとなってしまったわけだから、首相の器にない岸田さんが政治家を志したこと自体、不運以外の言葉が思い当たらない。

 

もし岸田首相と会うことがあれば、お祓いに行くことをおすすめしたい。

1回ではきっと足りないくらい不運が積もっているから、200回くらい。

そして、「これ以上やったら腕折れちゃうよ」って思った総合格闘技のレフェリーが、極められている選手に対してギブアップを促すのと同じくらいに、首相という地位のギブアップをオススメしたいと思う。

40にして怒ることができなくなり、その結果、企画ができなくなって困っている

吉田正樹は「怒りの企画術」という著書の中で、「怒り、嫉妬、鬱憤の感情こそが、数々の成果をあげたきっかけになった」と述べていた。
小田嶋隆の著書には、「コラムニストの最も重要な日常業務は『余計なことを言う』ことである」という一文があった。
 
 
人生を開始してもうすぐ40年が経とうとしている。
「十年一昔」という言葉があるが、この10年間で、自分の中から怒りの感情がすっかり失われてしまっていることに気がついて、愕然としている。
 
出前館で注文したものが予定の到着時刻を大幅に過ぎているのに届かないと、昔は「なんぼ待たすんじゃぼけが」と怒鳴り散らしていたが、今では「まあ混み合ってるんだろうし仕方ないよね」、混み合ってなかったとしても「足元が悪いから時間かかるよね」、足元が悪くなくても「まあ配達員さんも気分が乗らん時もあるから仕方ないよね」と思う。
 
店に行って期待したサービスを受けられなかった場合は、かつては「そしたら誰にでもわかるように目立つ場所にデカデカと書いとけやこのカスが」と、店員をその場で呪っていたが、今は「気が付かなかった俺のほうが悪いよね」と思うようになった。
 
仕事で気が狂った上司や部下、取引先から理不尽な言葉を浴びせられても、「狂ってるから仕方ないよね。狂ってしまうような出来事にかつて見舞われたんだろうね」という思いが先にくるようになった。
 
電車を待っていて後ろに並んでいる人から順番を飛ばされると、これまでなら、本人に直接言わないまでも、「おいお前、なに順番抜かしとんねんこらわれ。車両とホームの間に嵌って死ね」と心の中で呪詛的な言葉を繰り返していたが、今や「急ぐ理由があったんだろうな」とか「ドアが開いてからの反応がいいですね」とか思ってしまうようになった。
 
Twitterで、どう見ても社会的に害悪な思想を撒き散らしているアカウントを発見したら、「こんなやつ世の中に必要ない」と思っていたが、今では「必要あるかないかなんて関係なく、この人から見たらこの考え方が世の中のすべてなんだし、そのような考えを持つ原因となった事件があったんだろうから、まあ仕方ないよね」と感じるようになった。
 
ニュースで凄惨な事件を見ても、「こんなやつ許されるわけないだろ何考えてるんだこら」と憤っていたが、「こいつも悪いけど、生まれながらにして悪いやつなんていないし、何かの出来事があってこういうことを起こすようになってしまったのだろうから、こいつだけが悪いわけじゃないよね」という思いが先にくるようになった。
 
そう考えるようにした、というよりか、気がつけば自然とそうなっていた。
 
 
理由は分からないが、怒ることができなくなってしまった俺は、企画ができないし、俺が目指すところのコラムニストに成ることができないではないか。
なんということだ。
この上なく腹立たしい。

「将来なりたい職業」を酩酊している謎のおっさんで決めてしまった話

2022年に行われてた調査では、小学生の「なりたい職業ランキング」の1位はYouTuberだそうだ。

俺が小学校だった30年ほど前のそれは、おそらく、男子がプロ野球選手で女子がケーキ屋さんとかだったのではないかと思うが、小学生だった俺がなりたいと言ったのは「塾の先生」だったらしい。

だが俺自身はそのことをまったく覚えておらず、最近になって母親から聞かされたのだが、今となっては、なぜそう思ったのか全然わからない。

 

記憶が残る限りでは、俺が「将来、この職業をしてえなぁ」と思ったのは、高校生のころで、その職業はコピーライターだった。

きっかけとなったのは、ある日テレビで見た、もにょもにょと何を言っているのかよくわからないおっさん。

俺は高校まで関西に住んでいたのだが、関西ローカルのいくつかの番組に出ていたそのおっさんは、今では考えられないことだが、明らかに酩酊しているときがあった。

なんでこんなふざけたおっさんがテレビに出ていられるのか。

中島らもという名のそのおっさんが何者なのかを調べているうちに、作家になる前はコピーライターという仕事をしていたこと、そんな仕事がこの世界に存在していて、その業界ではもっと有名な人がたくさんいること、そういう地位になれば、一行の文を書くだけでウン百万といった金がもらえることを知った。

(その一文を書くことがどれだけ大変なのか、は、知らなかったが)

 

大学を卒業してそれなりの規模の広告代理店に入社したが、配属先が決められるのは入社した後でそれまではわからないシステムだった。

俺にとってこれは最悪で、なぜなら、クリエイティブ部門に配属されれば俺が希望するコピーライターになることができるが、もし仮に営業部門であれば、その瞬間に広告代理店営業マンになることになり、それはあらゆる職業の中で俺が最もなりたくない職業であったからである。

(ちなみに、制作部署を「クリエイティブ部門」と呼んだり、広告制作物を「クリエイティブ」と呼ぶ業界特有の風習も、俺はめちゃめちゃ苦手なのだが、これもきっかけは中島らもの作品にある、「ロックは音楽の一ジャンルではなく、生き様のことをいう」という一文に共感したのがきっかけだった。「クリエイティブ」も同じだと思う)

つまり、「なりたい職業1位」と「なりたくない職業1位」が隣接していたのだ。

入社前にあらかじめ営業局に配属されることがわかっていれば、100%別の会社を選んでいただろうが、クリエイティブ局に配属される可能性を望みに、ギャンブルに加わることにした。

そして俺はそのギャンブルに敗れた。

 

死ぬほどなりたくなかった営業マンになることがわかった瞬間に退社するという選択肢もあったが、「人事異動」という名のニンジンに釣られて何年か働いてしまい、しかし敗者復活戦にも勝つことができず、いろいろあって今は勤め先も変わってテレビプロデューサーなんて仕事をしているのだから、先のことなんて本当にわからないものである。

今になって思うのは、「営業マンをやってよかった」とは思わないが、「コピーライターにならなくてよかった」とは思っている。

無論、これは負け惜しみを存分に含んでいる。