勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

「情報爆発時代」を経てゴシップニュースはなぜ生き延びたか

我々は「情報大爆発時代」を生きている、らしい。

これは、マスメディアの発達やインターネットの普及・高速化・モバイル化によって、人々が入手できる情報の量が急増している現象を指している。

デジタルネイティブ世代より古い私には、実際の体験からこういう感覚はたしかに存在する。

 

この言葉を私がよく耳にするようになったのは、おそらく2008年くらいだったと記憶している。

当時、私は広告代理店で勤務していたのだが、広告業界においてこの言葉は、「消費者の目の前を流れる情報量は激増しているけれど、受け取って消費できる情報量はそれほど増えてないから、広告が情報の山に埋もれずに受け取ってもらえるように、これからもっとがんばらないとね」といった文脈で用いられることがほとんどだった。

さらにいえば、ただがんばるだけではダメで、広告手法のモデルチェンジが必須である、とも。

より具体的には、これまではマスメディア上で「こんな商品あるよ」って言っていれば、他に情報源を持たない消費者は商品のことを知って買ってくれていたが、これからは、マスメディア上で広告をしても、その提案が優れたものでなければ、他にも情報源を持つようになった消費者にそっぽを向かれ、商品のことが伝わらない。手を変え品を変え、様々なルートから、より有益な広告情報を伝播させていくことが必要になる、といった要旨である。

この時期、広告の企画者はこぞってこのグラフを提案書の冒頭に用い、自分が提案する広告プランがモデルチェンジ後の魅力的な企画であることをアピールしていた。

情報流通量等の推移

【出典】平成18年度情報流通センサス報告書
総務省情報通信政策局情報通信経済室(平成20 年3月)

https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/linkdata/ic_sensasu_h18.pdf

1996年から2006年の10年間で、選択可能情報量は530倍増なのに対し、消費情報量は6.5倍増にとどまっている。

6.5倍消費が増えているのもすごいことだけど。

 

それから15年ほどが経ち、情報量はますます増加の一途を辿っている、ように思える。

「思える」というのは、この調査、平成18年が最後で以降は形を変えてしまっており、単純な比較ができなくなっている。

しかし、2006年と2024年では、比較にならないくらい、選択可能情報量は増えているだろう。

Netflixで観たいドラマだけ取っても、観る時間がなくたまっていく一方なのだ。

 

この情報量の爆発が認識され始めた2006年あたりのタイミングは、広告業界にとって、既存のパラダイムが通用しなくなる点においてひとつの危機ではあったが、未来への適応の必要性を認識できた業界人にとってはチャンスでもあった。

そして、広告業界だけでなく、一般消費者にとっても、これまでのくだらない情報取捨選択方針を改めるチャンスだ、と、私はこっそり期待していた。

 

「くだらない情報取捨選択方針」というのは、主には芸能ゴシップのような三文記事がワイドショーなどで毎日のように長尺、多頁で取り扱われていることに対して、「なんでこんなしょうもないニュースばっかりなのか。こんなニュースを人々は求めているとでもいうのか。それともこんなニュースしかないほど日本は、世界は平和だというのか」という私の問題意識が滲み出た言い方である。

それまで芸能ゴシップが毎日のように取り扱われていたのは、別にそれらの需要が高かったわけではなく、情報の供給側が少ないため、それらで満足するしかない状況だったからではないか。

しかし、情報大爆発時代が到来すれば、質の低い情報も増えるが、高品質な情報も増えるだろうから、全体的な底上げによって受信側に選択の余地が生まれる。

ただし、人が摂取できる情報量はそれほど増えていないから、大量の情報の山から取捨選択する必要に迫られる。

つまり、人々がしょうもない情報を捨て、真に自分のため、社会のため、地球のためになる情報を選択するようになる、変化のチャンスなのだ。

さて、情報が爆発してからはや15年以上が経過した今、当時と比べて、情報の質はどう変化したか。

テレビのニュースは、特に昼~夕方は、相変わらずしょうもない芸能ゴシップニュースを大量に扱っている。

芸能人ですらないYouTuberなどの話題も扱っていたりするから、質的には低下しているといっても過言ではない。

そして「情報爆発時代」の申し子でありニュースアプリの雄、「スマートニュース」では、いまだに「まとめサイト」タブなんてものが人気である。

卓越した技術を集結して作られたアプリで集約する情報が、2ちゃんねるまとめなのである。

X(旧Twitter)でも、有益な情報はごくごく一部、99.99%以上が無価値な投稿である。

(無価値どころか有害が大半だと個人的には思っているが、これはまた別の機会に論じたい。)

 

このように、相変わらず、世の中はくだらないニュースで溢れかえっている。

情報流通量は激増しているのにも関わらず、選択される情報の質は変化していない。

 

一応フォローしておくと、私は、広告が有益、上質な情報だと言っているわけではない。
ただ、大半の芸能ゴシップがくだらない、とは思っている。

どこぞの誰々が不倫していたからといって、お前がそれを知ったところで、いったい何が変わる、何が生まれるというのだ。

 

話を戻そう。

情報大爆発時代に、選択される情報の質に変化が見られないのはなぜなのか。

私の推測はどこが誤っていたのだろうか。

考えられるのは3つである。

 

1つ目は、「選択できるほど情報が溢れかえっていれば、我々はより有益な情報を選択するようになる」という前提条件である。

いくら情報量が爆発、有益に思える情報が激増しようが、人々が選択するのは、どうでもいい芸能ゴシップなのだ。

思いのほか、人々は役に立つ情報をほしいとは考えていないようだ。

 

2つ目は、「ゴシップは無益な情報である」という決めつけである。

ここ最近で大きく取り上げられている芸能界における性被害の話題は、社会が変革していく上で必要な成長痛のようなものかもしれないが、「とあるママタレが弁当をインスタにアップして炎上」とか「女優が公開した近影が話題 『まじ衰え知らず』」とか、本当に1ミリも世の中の役に立たない、文字をタイプするエネルギーと送受信する通信インフラと電力の無駄遣い、と思っていたが、これでも数万ページビューを稼ぐのだからそれなりに需要があるに違いなく、このような記事の内容を日々の生活に役立てている人がそれなりに存在するということなのだろう。

 

そして3つ目。

最近になって、実はこれが本命ではないかと私は考えているのだが、「ゴシップニュースも質、量ともに爆発している」可能性である。

2023年を振り返ると、実に多くのゴシップニュースがあった。

その中には、本当にくだらないものが大半だったが、全然くだらなくない、大の大人が集まって何時間も記者会見をしてしまうほどの大ゴシップニュースがいくつもあった。

たしかに考えてみれば目から鱗が落ちることだが、「情報爆発」がゴシップには関係ないという方が不自然である。

「情報爆発」のきっかけのひとつはインターネットの発達、普及にあるが、LINEが流出して発覚したゴシップは枚挙にいとまがない。

とんだ副産物を生んだものだ。

 

というか、ここまで書いて思った。

こんな無益な情報ばかりのブログを書いているお前が何を言っているのか、と言われても、俺は一切の反論の言葉を持たない。