勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

令和になって「不適切にもほどがある」本を見つけた話

昭和初期~中期くらいに書かれたものを読むのが好きだ。

その魅力のひとつに、平和な話の合間に突然、女は馬鹿だとか、子供をぶん殴ったとか、黒人は嫌だとか、いまの時代にはコンプライアンス的にアウト、アウトもアウト、大アウトな言動が、前触れもなくポンポンと、カジュアルに飛び出してくることがある。

別にアウトローな書籍を選んで読んでいるわけでもなく、普通の随筆でもそんな様子だから、こっちはそんな心の準備もなく、不意を突かれてしまう。

「この人は日常生活でも面白い視点で物事を見ていて、優れた洞察力の持ち主だなあ」なんて思いながら読み進めていても、いきなり「同性愛は病気の一種であるから…」とかいった文言が飛び出してくるのだから、公園の児童向けアスレチックだと思って登ってみたら「実はこれ『風雲たけし城』です」と言われて放水車が出てくるようなものである。

こんなジェットコースターみたいな本が、昭和の作品には、たまに存在する。

 

筆者に対するそれまでの印象も、たった一文で180度変わってしまう。

もっとも、そういった内容を含む書籍でも、再刊行された書籍であれば

「現在では差別的で不適切と思われる語彙や表現がありますが、作品が書かれた時代背景、また、著者が故人であることを考慮し、原文のままとしています」

といった注釈が冒頭に入ることが多く、安心して読み進めることができる。

最近話題のドラマ『不適切にもほどがある!』に代表されるような、現代と乖離した昭和の常識を笑う企画はたまにあるが、あれも冒頭に「不適切な内容があるが、当時の時代背景を表現するために、あえて使用して放送します」といった注釈があり、不適切表現に対する心の準備を促している。

しかし、たまに注意をかいくぐり、注釈がないまま不適切表現がビーンボールのように不用意に飛び出してくる作品と出くわすケースもあり、これはこれでドキドキ感がひとつの魅力である。

先日、あるエッセイを読んでいた。

それは昭和に書かれたものではなく、作者は現役の作家であり、最近になって文庫化されたものである。

複数の作者のオムニバス形式になっており、私はそのうちの2人がよく読む作家だったので読んでみたが、一度も読んだことがない作家がほとんど、中には名前も知らない人も数人いた。

読み始めてしばらく、ある作家のページにて、「愛想が悪い女はだいたい顔もブスで、心もブスだ」みたいなことが書いてあって、ぶっ飛んでしまった。

なんせ、昭和ではない、現代もののエッセイを読んでいるのだ。

もちろん、「不適切な表現をあえて使用します」などの注釈はない。

 

え、だれこの作家?

何者?

現役?

何歳?

いいの?これ回収しなくて?

 

すぐさま発行年を見ると、2017年だった。

うーん、8年前か。

昭和どころか平成終期だが、それでもまだギリギリセーフだったのだろう。

それくらい、ここ数年の、世の中の空気が変わっていくペースは急である。

7年前の作品でもまだ、平和のネコをかぶった凶暴な本が残っているのだ。

これが昭和の本だったら「あははーびっくりした」で済んでいるのだが、相手は現役,

笑って済む話ではない。

時期が数年ズレていたり、書籍ではなくブログだったりしたら、作家生命が終了していた可能性もある、空恐ろしい話なのである。

 

これだから本を読むのは面白い。

他山の石にしないといけないけど。

そして、あの知らない作家さんは、まだこの世で、業界で、生き残れているのだろうか。

以降の作品を読んでみたい。