3万円もする高級な万年筆を、衝動的に買ってしまった。
この時に、なぜか俺は
「ペンはペニスのメタファーである」
という説があったのを思い出した。
かつてこれを聞いた時には、
「じゃあ“書く”という行為はセックスのメタファーなのか?」
「男性にとっても女性にとっても同じとは考えにくくない?」
「“絶頂”に該当するものは何か?」
など、疑問の残る点が多く、形が似てるだけやんけ、とか、何でもメタファーって言ってればいいってものじゃないだろ、とか、そういえば昔よくそんなことをテレビで言っているいい加減な心理学者とかいたなあ、などと考え、真に受けることもなく「アホちゃうか」で片付けていた。
今回、万年筆を買った時にこれを思い出したのは、なぜだろうか。
その理由はよくわからない。
買った万年筆の特徴と、買うに至るまでの俺の心境を思い返すと、だいたい以下のようなものだった。
- 本体は真っ黒で、やや太く、かなり重い
- 重厚感が気に入った
- 重いのが手に馴染んで、書きやすい
- すでに4000円くらいの万年筆を所有していたが、「万年筆は一生もの」という割に、ガラス製の本体には僅かにヒビが入っているし、そもそも安っぽくて、残りの人生終わるまでの使用に耐えられそうな気がしない
- いま持っているものは日本製で、今回入手したのはドイツ製
これをちんぽに置き換えてみると、俺は深層心理でこんなことを感じていたことになる。
- 俺は黒光りするやや太ちんぽが欲しい
- やっぱりちんぽはずっしり重いのが良い
- 今のちんぽは安物
- 40歳を迎えたからか、わからないが、今のちんぽは生涯の使用に耐えられる気がしない
- 一生セックスがしたい
- ドイツ人は性豪でうらやましい
身も蓋もない結論になってしまった。
文房具売場でこんな事を考えている奴は正真正銘のアホであるから、やはり「ペンはペニスのメタファー」なんて、そんなことはありえないのである。
ただ万が一、俺が、考えていなかったとしても、心の底では上記のような思いを抱いていたとすれば、大変ショッキングなことである。
もしくは、加齢によりセックスができなくなってゆくことに対する口惜しさを、書くことでなんとか発散もしくは誤魔化そうという試みこそが「ペンはペニスのメタファー」説の実態なのだろうか。
たしかに週刊現代とか週刊ポストの、毎週のように見出しに「死ぬまでセックス」という文字が踊っているのを見かけると、編集長の並々ならぬ熱い想いが伝わってくる。
さぞかし、頑丈で長大、かつ高級な万年筆で、原稿を書いていらっしゃるに違いない。