勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

「トランスエイジこそが日本の救世主だ」と考える理由

この概念は、果たして日本を、世界を救うだろうか。

 

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自分の年齢に違和感を持ち、実年齢とは異なる年齢を自己認識する人のことを、「トランスエイジ」と呼ぶらしい。

最近になって提唱されはじめたこの概念は、SNSでの反応を見る限りでは、「みっともない」「責任に対する現実逃避だ」「違和感ではなくただ未熟なだけ」などと、大半の人から批判的に受け止められているようだ。

しかし俺としては、これは悪くないというか、もしかしたらものすごく画期的な発明なのではないかとすら感じている。

 

先行して出てきたトランスジェンダーも、様々な試行錯誤の過程で炎上やトラブルが頻発している状況から、世界的に見てもまだ社会の中での着地点が見いだせずに漂っている過渡期の状態といえるだろうが、「トランスエイジ」は世界を先導して日本でこそ普及していくのではないかと(期待を込めながらも)予想しているし、日本を救う可能性をも秘めていると考えている。

「20代前半になったらちゃんと仕事に就くべき」とか「30代には結婚して家庭を持つべき」といった社会通念が、日本以外の国でどれほど強いのかは知らないが、ニュースやネットの記事などで「欧米の学校では飛び級とか普通にある」とか、「大学3年生が一斉に就職活動をしたり、就職時に年齢差別があるのは、日本くらいだ」なんていう話はよく目にするくらいだから、おそらく、日本では世界の他の国と比較しても、この手の見解がコモンセンスとして重宝される傾向は強そうだ。

 

俺の人生を振り返ってみても、親や知人からは「いい歳して何やってるんだ」と呆れられたことは何度もあったし、会社の人事資料には「社会人年齢35歳以降の標準給料はいくらいくらで、立場的にはこうこうこういった任務を果たすことが求められる」など、35歳になったら本当にそんなことができる模範的で立派なビジネスマンになっているのだろうか、と途方に暮れてしまいそうなことがいくつも書かれていた。

最近でこそ「リスキリング」なんて珍しくなくなってきているのだろうが、俺が大学に入ったころなんて、10歳上の同級生など完全に周囲から浮いていたし、今でも、55歳のおっさんが20歳の女性と結婚などしようものなら、好奇の目で見られるならまだましで、親や周囲から反対だってされるだろう。

 

日本では、年齢に応じた役割を果たすことへの要請が依然として強い。

この圧力にも似た要請は、順応出来ない人にとって社会を生きづらいものにしているだけでなく、日本を停滞させている最大の足かせなのではないか。

と言っても過言ではないと考えている。

企業や政治の世界で「重要なポジションは年齢が上の人が就くべき」「年齢の下の人は上の人の言うことに従うべき」という常識があるから、若い人はいつまで経っても社会や会社を変えよう、改革しようとしてもその権力がない、という事態に陥る。

結果、会社であれば、若い人のやる気が低下する、若い人の柔軟な発想を取り入れられずに衰退するし、政治方面では、高齢者に好まれる政策ばかりが実行され、若い人が「俺らでも希望を持てないのにましてや未来の子供達をや」と言って子供を作らない結果、少子高齢化に拍車がかかる。

 

上のABEMA TVの番組で、若新さんが
「日本は諸外国と比べて、過去の実績の蓄積を重視する『蓄積社会』であり、『蓄積社会』のもとでは、失敗したら蓄積を失うから保守的にならざるを得ないし、年齢は黙っていても蓄積していくから、歳だけいってるのに何もしない、何もできない『老害』が生まれていく」
と指摘していたのは、慧眼だと思う。

 

俺は「トランスエイジ」に、こういった窮状をぶち壊せるのではないか、と、ひそかに期待を寄せているのだ。

 

無論、「トランスエイジ」が出現する前までにおいても、「自分の実年齢に対する違和感、息苦しさ」がなかったわけではない。

しかしそれは、ごくわずかな、クローズドな場面に限られていた。

例えば、「赤ちゃんプレイ」である。

それは極めて特殊な環境であり、大半の人は生涯を通じて一度も経験しないものである。

また、そのプレイをプレイ空間の外に持ち出すことは、重大なタブーとされる。

「あんな厳しい部長だけど、実は赤ちゃんプレイが好きらしいぞ」なんて部下にバレたものなら、すぐさま威厳は失墜、下手したら地位を追われる危険性すらある。

 

しかし、「トランスエイジ」が市民権を得れば、若者は高齢者に対して、「あーあいつがいなくならないと俺のポジションがいつまで経っても空かないな」なんてやる気を失うこともないし、高齢者も若者に対して、威厳を保とうと虚勢を張る必要もない。

もちろんこれには、「年功序列制の崩壊」という副作用が伴うが、トランスジェンダーが辿ってきた道と同じように、トランスエイジを尊重しないことがコンプライアンス違反とされる世の中になれば、自然と到来する未来なのかもしれない。

 

Twitterにもそんなつぶやきがあったが、「俺は10歳だから働けない、ひいては税金を納められないし、親に養育されるしかねえな」などと、「トランスエイジ」社会を悪用する40歳のおっさんが現れるかもしれない。

しかし、この手の「トランスエイジ」の濫用は、ずるいというよりも単なる悪手である。

なぜなら、彼を育てる義務を負うはずの生後70年の親は、「トランスエイジ」的には3歳児なのかもしれないのだから。