勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

「withコロナ」時代を予想してみた

東日本大震災と同様、いやそれ以上に、コロナウイルスは現代人の生き方、人生観、哲学といったものを変容させるのではないかと言われている。
 
それを「afterコロナ時代」とか「withコロナ時代」とか呼ぶ人がいるが、ワクチンや特効薬が開発されてコロナが恐れるに足りない存在になるにはまだまだ時間がかかるし、それまでの間も経済活動を完全に停止させるわけにはいかない、人類は止まったら死ぬ、という理由から、人類はコロナウイルスやこれからも生まれるであろう未知なるウイルスとうまく付き合っていかなければならなくなる、というのが大方の予想らしく、「after」よりも「with」という言葉が使われているのには、そういった諦めにも似た感情が込められているようだ。
 
では「withコロナ」の世界は今とどういった違いがあるのだろうか。
俺なりに予想してみた。
 
 
最近俺は、リモートワークをしている。
週に1~2回は出社しなければならないものの、会議はオンラインでも案外問題なく進むので、特に業務に支障をきたすことは少ない。
その上に通勤時間も必要なくなるため、以前より睡眠時間を長く取ることができる、などメリットばかりで、これはいい、外出できる時が戻っても会社員も自宅での勤務が認められるようになれば世の中みんなハッピー、と思っていた。
 
 
先日、上司にブチ切れられるという出来事があった。
もうすぐ40歳にもなろうというのに、だ。
それはさておき、ブチ切れられたのも、テレワークだから電話である。
つまりその上司は、俺にブチ切れるためにわざわざ電話をかけてきたのだ。
 
人に電話をかけるというのは、なかなかエネルギーを要する行為である。
大した用事でなければ、「わざわざ電話してまで話すことではない」と思ってメールなどで伝えるようにすることも多い。
少なくとも俺にとってはそうである。
その分、電話で伝えられる怒りのエネルギーは、越えてきた壁の高さの分だけより増幅されて、ブチ切れられる側の人間にぶつけられるのである。
 
そして、ブチ切れられた会社員はどういう行動に出るか。
同僚に愚痴るのである。
愚痴ることでストレスを発散し、また仕事に戻る精神状態を取り戻すことができる。
しかしリモートワーク環境下では、愚痴を言うのにも電話をしなければならない。
愚痴なんて、怒り以上にわざわざ電話するほどのことでもないし、メールでも送りづらい。
であればLINEか?
コミュニケーションツールとして最も障壁が低いのはLINEのようなメッセージアプリである。
しかしそれでもまだ、「愚痴のためにわざわざ会話を始める」ことの敷居の高さは依然として残る。
 
こうして、ブチ切れられたストレスは発散されることなく、ただ蓄積するだけに終わる。
 
 
今後コロナウイルスが収束した時に、もし会社員と雇う企業の双方が
「リモートで業務も滞らなかったし、出社できるけど必要ないからみんな在宅勤務でいいじゃん」
と考えた結果、「通勤」行為が廃れて家で働くのが当たり前となったら、精神を病む人が増えるであろう。
 
コロナ禍により必要に迫られた人類は、「対面会議」に替わり「オンライン会議」を普及させつつある。
しかしそれだけでは不十分であるのは言うまでもない。
 
健康増進法」という誰が求めているのかわからない謎の法律によって社内から撤去されてしまったが、それまで喫煙所は、タバコを吸うための場所ではなく、同僚と、上司の悪口やどうでもいい話をするための場所として設けられていた。
その証拠に、俺はタバコが吸えないにも関わらずよく喫煙所に行っていたものだ。
しかし今、喫煙所が奪われ、そしてみな在宅勤務になってしまい、愚痴を言う術をどんどん失っている。
しかも、俺は結婚しておらずひとり暮らしだからわからないが、ネットの記事によると、在宅勤務で夫が家にずっといることに耐えられない妻が増えているらしい。
 
 
こういった事態の解消を目的として、「出社要請」が政府から発令されるだろう、というのが俺の予想である。