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勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

「名乗ることすら許されない」という環境を脱出する方法を、数学の0点のテストから学んだ

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未成年のときに所属する社会では、地位の違う相手と接する機会といえば、親と子、先生と生徒くらいがせいぜいのところであるが、大人になれば、相手と身分の差が大きすぎて自分の名を名乗ることすら許されない状況が存在する。
そのように匿名を強いられる機会が長く続くと、自我の矮小化、アイデンティティの喪失につながってしまうケースがある。
 
名前で呼ばれる。
それだけで救われることもあるのではなかろうか。
 
 
中学や高校のテストで、「ネーム点」という制度が存在した。
ある数学の先生が勝手に作った制度で、テストで0点が確定したときに、名前を書いた箇所にマルをつけて、「3点」など点数を与えるものだ。
これによって、答案は白紙もしくは全問間違いであったとしても、自分の名前さえ書いてあれば0点を免れることになる。
 
初めてネーム点を獲得した生徒が、数学のテストなのに名前にマルをされていることを不思議に思い先生に質問したところ、先生は「それはネーム点や」と言ったことから、この担任の先生のみが採用するローカルルールとして認知され、一気にこの制度は生徒の間で市民権を得た。
 
ネーム点導入の目的は直接尋ねたわけではないからわからないが、おそらくは0点を取った生徒に対する救済措置だと推測される。
では、0点を取った生徒を救済するのはなぜか。
 
強いてその理由を挙げるとすれば
  • 「0点」のインパクトが強烈すぎて生徒や親がショックを受けないようにするため
  • 生徒が自信を失ってしまわないようにするため
  • 生徒が数学が嫌いにならないようにするため
などだろうが、これらは当然、その効果はまったく認められることはなかった。
 
少し考えればわかることだが、0点を取るような生徒は元々勉強などせずにテストに臨んでいるから、0点を取ったくらいでショックを受けることなどないし、失ってしまうような自信などそもそも持ち合わせていないし、もっと前の時点で数学など嫌いになってしまっているし、親に至っては、自分の子供の採点後答案を見て、名前にマルがついている事実の方がむしろショックだからである。
 
それどころか、「ネーム点」という言葉の甘美な響きから、「中途半端な点数を取るくらいならば、ネーム点を取ってしまった方がネタになって面白い」なんていう発想に取り憑かれ、取れる数十点を捨ててネーム点を拾う生徒が続出した。
「ネーム点」と名付けられたことも誤算となり、結果として先生の狙いは完全に裏目に出てしまったのだ。
 
 
しかし俺はこれを失敗とは思わない。
なぜ「ネーム点」のことなど20年近く経った今になって思い出したのか不思議だったが、それは「名乗ることすら許されない」状況からの脱却につながるのでは、と、神が与えてくれたきっかけなのではないかと捉えなおすに至った。