勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

麻雀から自分の人格のカス化を知る

f:id:suzuki1001:20170805195737p:plain

今回は麻雀を知らない人にはわけのわからない文章かもしれないが、最近、裏ドラが乗らない。
裏ドラというのは、リーチをかけてあがった人が享受できるボーナスのようなもので、あがった後ドラ表示牌の下に置かれている牌をめくり、それが示す牌が自分の手の中にあれば、枚数に応じて点数が増える、ほぼ運100%の要素だ。
(「本当に運100%かどうか」には異論がある人もいるだろうが、その点についてはまた別の機会に書きたい)
 
記録が残っているわけではないが、俺は2~3年前までは、一緒に麻雀をした多くの人から「とにかく裏ドラがよく乗る人」という評価を受けていた。
事実、「俺だけ優遇されているのではないか」と錯覚してしまうほどよくそれが乗る会もあったし、そうでなくても裏ドラに助けられることが多かった印象がある。
しかし不思議なことに、2016年に入ったあたりから、ぱたっと乗らなくなった。
まるで「人生の裏ドラ」を使い切ってしまったかのように。
いや、これまでバンバン乗っていたことの方がはるかに不思議なことなのかもしれないが、重要なのは、乗らなくなったことで俺が得られる点数が下がることだ。
 
俺は本当に人生の裏ドラを使い切ってしまったのだろうか。
俺というダムには、裏ドラは残っているのだろうか。
麻雀は無条件で最高に楽しい遊戯だが、裏ドラがバンバンとは言わなくてもそれなりに乗るほうが楽しさは増すだろうから、裏ドラを取り戻す方法はないものか、と思う。
 
伝説の雀鬼桜井章一によると、人の一生における「運の量」は決まっていないらしい。
つまり、自分の運を増やすこともできれば、減らしてしまうこともある、というのだ。
そして、運を引き寄せるには、何事にも誠実に丁寧に対応することが重要で、そうしているうちに自然に運の流れが来るらしい。
俺は今、それができていないのだ。
さらに桜井の本を読むと、「運の流れなど30分程度で変わることもある」らしく、2年も裏ドラが乗らない流れにある俺は、「流れ」などの一言では片づけられない根本に問題があるなんてことなのだろうか。
 
どうやら俺は2016年近辺を境目に、人格がクズおよびカス化してしまっているらしく、つらい。
今風に言うと、つらたん。
でも麻雀がしたい。