勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

自転車に乗るようになってから、他人の気持ちになって考えることなんて到底不可能なことがわかった

半年ほど前に、自転車を購入した。
小学生のころから乗り始め、中学では毎日の通学に、高校生の時もちょいちょいとは使っていたが、大学で上京するときに実家に置いてきてしまったので、それ以来だ。
現在俺が住んでいる集合住宅には自転車置き場がないのだが、自転車乗りにとってこれがあるのとないのとでは大違いである。
というのも、自転車とは、ざらしになってしまうと錆びてしまい乗る気が失せて放置してしまうから、ますます錆びてしまって、すると自転車にに乗りたいという気持ちも加速度的に減少し、という悪循環にはまってしまう、そういう乗り物である。
これを防ぐためには部屋の中で保管するしかない、そう考えた俺は、7.5帖のワンルームに置けるよう、折りたたみ機能にこだわった。
その結果、自転車としてはかなり高額な部類になってしまった。
すると乗らないと勿体ないので、電車で行きたいところも少々無理して極力自転車で移動するようになった。
いっぱしの自転車ライダーである。
 
そんなライダー生活をしばらく続けていると、不思議なことに世の中が自転車中心に見えてきた。
「世の中が自転車中心」とはどういうことか。
たとえばある道路を自転車で走行しようすると、自転車は車道の左端を通行するのが道路交通法上のルールである。
しかし車道は自動車がびゅんびゅんと高速に走行しており、危険な感じがする。
じゃあ歩道か、と思ったら、最近でこそ幅員に余裕のある道路では歩道上に自転車専用レーンが用意されているものがあるが、そんなものはまだまだ珍しく、歩道では歩行者が幅を利かせており、自転車のスムーズな走行疾走の妨げになることも多い。
「何をチンタラほっつき歩いているんだ」と苛立つなど、精神衛生にもよくない。
 
歩道で苛ついていたある日に思い出したのは、自転車ライダーになる前、俺は歩行者だった過去である。
歩行者の俺はチリンチリンを鳴らし歩道を暴走する自転車に対して、「歩道は歩行者のものなのになぜこっちが自転車を避けなければならないのか」と、チリンチリン無視を決め込んでいたりした。
ライダーの俺からみれば身勝手な主張である。
 
仕方ないので車道を走っていると、車道の左側というのは、駐車している車があったり、タクシーが客を拾うために目の前でいきなり停車したりと、これまたスムーズな走行の妨げになるものが多く、「車道の左側には自転車マークもついているのに、誰の許可を得て左端に停車しているのか」などと、停車している車をぶち壊したくなる心境に駆られるのである。
 
しかしぶち壊したくなる心境とともに蘇るのは、かつて俺は自動車のドライバーであった記憶。
自動車ドライバーからすると、駐車場に入れるほどではないほんのちょっとした停車の際に道路の左端に寄せることなど当たり前の行為だ。
そして車道をふらふらしながらのろのろ走っている自転車はめちゃくちゃ邪魔な存在であり、もし追い抜こうとする直前に右側によろめいてきたら轢いてしまうのではないか、と空恐ろしい気持ちにさせる存在でもある。
 
だが、そんなことよりも遥かに空恐ろしいのは、自転車ライダーである俺と、歩行者である俺、またかつて自動車ドライバーであった俺は同一人物である点だ。
移動手段が変わるだけで人間の思考というものはここまで大きく変化するものなのか、そして、人間はここまで利己主義的になることができるものなのか、と、自分のことながら衝撃を受けている。
 
 
いま、世界中でコロナウイルスが猛威をふるっている。
政府は大規模イベントの開催等を自粛するように要請しているが、あらゆる主催者は実施するかしないかの判断を迫られ、実施したイベントに対しては「時期を考えろ」だの「命をなんだと思っているんだ」といった批判が向けられている。
 
しかし、その批判をしている人がイベンターだったことはあるのだろうか。
自転車ライダーの気持ちが自転車ライダーになってみないのとわからないのと同じように、イベンターの気持ちはイベンターになってみないとわからないはずだ。
イベント実施の決定をした主催者はおそらく苦渋の決断のだったろうが、もしかしたら
「これくらい大丈夫っしょ。伝染らないっしょ。みんなビビりすぎ」
と思っているのかもしれないし
「世間が心配する気持ちもわかるが、我々もこのイベントを中止したら俺の会社も即倒産そしてそんなことになったら俺も首吊りは免れない。知らん奴の命より俺の命を優先する」
と思っているかもしれない。
だが、そんなことは俺はイベンターではないからわからない。
 
なんてことを書いたら、あるイベンターの人が
「俺はイベンターだが中止したぞ。すべての主催者が人命を軽視しているとでも主張するのか。殺す」
と言ってくるかもしれないが、そのイベンターは資金にちょっとした余裕があって、ひとつイベントをミスったら即倒産せざるを得ないような金銭的に余裕のないイベンターの気持ちなんてわからないに違いない。
 
 
このように考えると
「私があなたの立場ならする(しない)はずの行為を、あなたはどうしてしない(する)のか」
といったあらゆる批判がすべて無意味だとわかる。
 
その人はすでに全力で努力してその状況に至ったのかもしれないし、もしくは全力で努力できない状況にあったのかもしれないが、それを他人が推し量ることはできないのだ。