勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

経済学とはいったい何なのか問題と、経済のことがわからなくて昔から損ばかりしている話

日本の借金が、2021年時点で1200兆円を超えたそうだ。

国の収入、すなわち歳入は、だいたい年間で100兆円あるらしいが、実際には歳入の100兆円のうち約3分の1は新たな借金で、それで年間25兆円を借金の返済に充てている、という構図である。

金額が大きすぎて訳がわからないので、世帯年収1000万円家庭に置き換えてみる。

1000万円プレイヤーといっても見掛け倒しで、そのうちの300万円以上は借りてきた金、年間で250万円を返済しながら、借金は膨らむ一方、ついに1億2000万円にまで積み上がっているという有様だ。

「超やばい」どころの話ではなく、完全に破綻している。

「1000万円プレイヤー」という称号、そして「あそこのうちは高給取りだから」そんな評判と羨望の眼差しを捨て去ることができず、見栄を張っての自転車操業

借金をしなくても700万円の年収があるのだから身の丈にあった生活をしながら少しずつ借金を返済していけば何の問題もなかったはずなのに、いったん上がってしまった生活レベルは下げることはできず、気がつけばサラ金に手を出してしまう。

とまあ、こんな状態である。

 

どうしてこれほどまでの多額の借金を背負ってしまうまで放っておいたのか。

ウシジマくん風に表現すると、完全に「カタにハメられている」といえよう。

 

仮にこれが自分の身に起こっていることであれば、「ああ、俺の人生終わった」と観念セざるを得ないレベルだ。

「がんばって地道に返済していこう」なんて到底思えないほどの途方もない額を目の前に、まずは自己破産を第一に考えるだろう。

もしくは最後に一発逆転をかけて、一世一代の大博打に出るかもしれない。

勝てば借金返済だが、負ければすなわち死。

そんなカイジばりのギャンブルでしか脱出できない、万事休すの状況だ。

 

俺は問いたい。

「あなたの家計がこんな状況だったらどうですか?」と。

おそらく俺の方針は何ら奇をてらったものではなく、むしろ至極一般的な解釈だと思う。

 

自分の家計だとしたら満場一致で「超やばい」

であるならば、今の国の財政に対してもそうなっていて当然なのだが、奇妙なことに、そうなっていない。

個人と国の家計では、大きな違いがある。

つまり、国の財政は一般家庭のそれとは比較にならないほど莫大かつ複雑であり、俺のような何の知識も持たない者が「マジやばい」とか「まだあわてるような時間じゃない」などと判断するのは力不足、お門違いもいいところなのだ。

しかし有難いことに、世の中には頭が良くて勉強熱心な人も多く、経済学なるものをめちゃめちゃ勉強して、自分の家の家計だけでなく国全体の財政まで、果たして本当に「マジやばい」のかどうなのか、きちんと見極めることができる人がたくさんいる。

だが、そういう本気で勉強して完璧に知識を身に着けた人たちの間でも、意見が真っ二つに分かれているのだから不思議である。

 

「このままでは財政破綻する」とか「そんなの大嘘だ」とか、経済を専門にする人たちどうしで、長い間ずっと言い合っている。

最近ちょくちょく聞く「MMT」という言葉(「現代貨幣理論」Modern Momentary Theoryを表すらしい。意味は全然知らんけど)も、「新しいパラダイムだ」という学者もいれば、「あんなのは大嘘、絶対にやっちゃいけない」なんていう専門家もいるし、「消費税を上げるべきか?下げるべきか?」でもいまだに「上げるべき」「撤廃する、もしくは下げるべき」などと、かれこれ何十年もやりあっている。

 

どういうこと?

Why 経済学者?

お前ら、ずっとその勉強をしてきたんじゃないの?

なんでそんなに180度逆の主張ができるの?

いい加減ひとつの結論に至れよ。

もしかして経済学って科学ではなく、哲学的なものなの?

もう20年以上も前のことなので記憶が曖昧ではあるが、大学生のころに、雑誌(おそらく「SPA!」だったかと思うが)を立ち読みしていて、ある記事が目に止まった。

その内容は大雑把に言うと、

「八百屋を営んでいる家庭では食卓に野菜が、魚屋をやっている家庭では魚が並ぶ割合が、他の家庭と比べると必然的に多くなる。○○屋は○○を、安く、大量に仕入れる、手に入れることができる。従って、金を扱う仕事(≒金融業)が年収が高くなるのは当然のことである」

みたいなことだった。

俺は今まで思いもよらなかった、この切れ味鋭い発想に衝撃を受けたのと同時に、「なぜ俺は工学部なんだ」と、己の過去の判断を悔やんだ。

もしこの記事にもう少し早く触れることができていれば、俺はすぐさま経済学部へと進路を鞍替えし、晴れて金融業界へ、濡れ手に粟状態で、今ごろは田園調布に居住し高級外車を乗り回していたことだろう。

 

と、口惜しい思いを引きずっていたが、ここ最近はまた考えが変わった。

先に述べたように、経済学の専門家でも意見が合致しないことが山のようにあるのだから、俺が経済学をかじったところで、高収入を手にできるとは限らない。

結局のところ、経済学なんて、哲学または宗教に近いものなのだろう。

勉強してないから知らないけど、そうでないと説明がつかない。