勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

消極的挙手と麻雀をしたい2019年

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世の中的には、「やらなきゃ意味ないよ」という流行語が生まれたり、Instagramにクンニ画像をアップしちゃった人がいたりと、様々な出来事があった2018年だったが、ここは個人的なことを好き勝手に書くブログ、社会ではなく個人的な出来事を振り返る。
 
例年12月くらいになってくると
 
「今年ももう終わってしまうのか。
 年々、時が経つ体感スピードが早くなってくるな。
 このままだと、40年後には1年が3秒くらいになってしまうんちゃうやろか」
 
などと感じていたものだが、今年についてはそれがなかった。
のんびりまったりとした時間が過ぎ去っていったのだ。
特に後半。
 
そう変わった理由はわからないが、普段から「できる限り早く人生を終えたい」と思っている俺への、神様的な誰かからの嫌がらせなのかもしれない。
「そんな甘いものじゃない、もっと苦痛を味わえ」という。
 
「理由はわからない」で終わらせるのは容易だが、せっかく重い腰をあげて振り返るのだから少し考えてみると、前半は、これまでの人生で一度もやったことのない数々のことに挑戦する羽目になったり、と、いろいろ変化に富んだ生活だったのに対して、後半は明らかに停滞していた。
ここで言う「挑戦」とか「停滞」は、すべて仕事に関することである。
誰かが言っていたが、「男は仕事してなんぼ」らしい。
もはや男に生まれたことを呪うしかないが、したがって、男性である俺が「1年を振り返る」といえば、「1年間の仕事を振り返る」ことなのだ。
 
停滞していたことと時間のすぎるスピードがのんびりしていたことの因果関係は俺にはわからないが、もしそうなのだとしたら、少しでも早く人生を終わらせるには、これから変化に富んだ人生を歩んでいかなければならない。
しかし俺ももうすぐ36歳、新しいことをやるにもアイデアがなければ情熱も低下しているし、どうすればよいのか途方にくれているのが正直なところである。
夏休みが来るのに、どこに行くか計画を立てるのも面倒でできない、そんな体たらくなのだ。
 
そうはいっても、今年の前半は、上にも書いた通り、いくつかの新しいことに挑戦した。
やればできるのだ。
運がよかったのかもしれないが、いま思い返すと、「空気を読んで、手を挙げていた」からなのだろう。
 
「ここは俺がやるって言わないと行けないところなんだろうなあ」
「そろそろなにかやりますって言っておかないと、『あいつは何やってんだ?』と、目をつけられるんだろうなあ」
 
そう考えていくつかのプロジェクトで消極的に手を挙げたことで、運良くそれがうまくいって社内で少し認められるきっかけになった。
ただやり始めた当初は
「うへぇ、俺がやるのかーついてね」
としか思っていなかった。
 
今年の後半に失いかけた”変わり身の激しい人生”を2019年に取り戻すには、「消極的挙手」を続けるしかないのだろう。
 
■■■
 
仕事のことばかり振り返っても鬱屈した気分になってしまうから、楽しいことも顧みよう。
楽しいことといえば、麻雀である。
今年は麻雀をする頻度が増えた。
2019年はもっと増やしたいと思う。
 
ただ、精神的未熟さゆえ、逆境的場面で冷静さを保つことができず、結果自滅したことが多かった。
勝てばよし、負けてもよし。
負けても死ぬわけではないし。
負けて死ぬなら、それはそれでよし。
そういう高い精神性を手に入れる2019年にしたい。
 
やらなきゃ意味ないよ。