勝手に更新される毎日

六本木で働くサラリーマンのブログです。やめてくれ、待ってくれと言っているのに、1日1日が勝手に過ぎていきます。

「人を傷つけない政治」が実現する日

いまのお笑いに求められていると言われる、「人を傷つけない笑い」

平成終盤までは笑いを取るために普通に行われていたいじり行為も、いまでは「それはもういじめ、誹謗中傷、差別であり、そんな方法で笑いを取ることは、差別を助長するものだから撲滅すべきだよ」「というかもう笑えないんですけど」となっているし、容姿いじりや差別的な笑いなどは即炎上、その後の活動に影響が及ぶほどの避難を浴びる時代になった。

 

いつの時代も笑いは世相を反映するものであるとも言われる。

だとすると、「人を傷つけない笑い」への支持が高まりは、社会全体で多様性を認め合い、誰しもが尊重されるべきだという価値観の広まりを表しているのではないだろうか。

 

ぺこぱのようにツッコまないことをボケとするものや、ティモンディ高岸のような全方位的に褒めたおす芸人は、まだ新しいトレンドであり少数派かもしれないが、近い将来には逆転、褒めるのが当たり前になり、真っ向からツッコミなんてする芸人は淘汰されてしまうかもしれない。

 

 

お笑いは全世代に向けたものであり、したがって若い世代で発生している変化を早いうちに反映しているようだが、人を傷つけないことが当然のこととして求められるようになったにも関わらず、一向にその変転を捉えられていない業界がある。

 

政治である。

 

やつらと来たら人が一生懸命考えて話している内容に対してツッコむどころか全否定、完全にディスってるし、人がマジメにしゃべっている間にあろうことか野次まで飛ばす。

「人を傷つけない」という、もはや常識である価値基準すら守ることができていないのだ。

とはいえ、政治がお笑いと違うのは、政治は若い人を対象としていない。

もちろん厳密にはこれは誤りである。

しかし、お笑い芸人は若者から受け入れられなくなったら、「収入がなくなってしまう」直接的なダメージがあるが、政治家は元々若者からの関心など得られていないからそれを失うこともないし、彼らから直接的に収入を得ているわけではないから相手にしていない、という点で「対象にしていない」。

そしてその無関心をいいことに、未だに古い価値観の蔓延を放置しているのだ。

さらにこの古い価値観が表出して行われる国会でのディスりや人を傷つける発言によって、若者は政治への関心を失ってしまうという、悪循環を生んでいる。

この構造で恐ろしいのは、現役の政治家たちが、若者が今後も政治への関心を持たないよう期待していることである。

なぜなら、若者が関心を持ってしまったら、自分は落選、失職してしまうかもしれないからである。

もしかしたら、意識的に、若者に嫌われてでも古い価値観を堅持しようとしているのかもしれない。

 

しかし、悲観することはない。

時間はかかっても、価値観は必ず入れ替わる。

なぜなら、新しい価値観を持った今の若者が歳を重ね、施政者になる時期が必ず来るからである。

その時は、今のお笑い界のような国会になっているに違いない。

 

「裏金は絶対ダメ…! とは言い切れない…俺ももらってしまうかもしれない」
国債発行ゼロ? やればきっとできる!」

 

第7世代政治家は、その時の若者の支持を集められるだろうか。

 

<追記>
と思っていたら、今井絵理子参院議員が「批判なき選挙、批判なき政治」を掲げて話題になっていたことを思い出した。
これぞまさに「人を傷つけない政治」そのものではないか。
こんな最近の出来事にすら気がつかないなんて、文筆家の端くれとしてはあるまじき能無しの謗りを免れないだろう。
また一からやりなおしたい。